黄色い死骸
助けた患者が死んだと聞いた。
それは彼との間で取り合った患者だ。
患者本人は彼に安楽死を頼み、患者の子供は私の所に手術の依頼をしにくるという何とも皮肉な出来事だった。
よりによって彼。
運命なんて信じちゃいないけどこれは一体どういう確立の偶然だろうか。
患者の取り合いなんて通算6回目を超すのではないだろうか。
皮肉だ。
不快だ。
不愉快極まりない。
しかも患者が死んだという告白を彼の目の前でされ、見下され、嘲笑われて。
悔しいという思いの反面、やはりと頷けるものもあった。
何故なら患者は彼に殺される筈だったからだ。
私が勝手に患者を奪い手術した。子供の依頼など関係ない。
彼絡みの仕事だから引き受けたのだから。
無駄なプライドとライバル心が燃えていた。
馬鹿だと思う。
運命だとも思う。
そして、必然だと思った。
彼が去った神社前の階段を一歩ずつ降りる。
生死については幾度となく考えた。
論理的にも思想的にも。
しかし答えなど見つかりはしなくて何時も自己満足で終わっていた。
死は人間に平等に分け与えられた権利、という彼の考えが頭の中をぐるぐると回る。
権利ということは何時その権利を果たしてもいいという事なのか。
…いいや。違う事は知っている。
生きている喜びにも勝る病の苦しみが患者を襲った時、
彼はその権利を果たす義務を死神から得るのだ。
それは彼の思い上がりだという事を知っている。
だがそれを否定し切れていない自分がいるのも事実なのだ。
答えの見つからない問いを自分なりに解決した結果がこれなのだ。
私は医者に。彼は安楽死医に。
避けては通れぬ人の運命をどう受け止めるかの問題だと思う。
そして出来た隔たりは何時しか表裏一体と成り得しものになった。
秋空とは違う、冬の低く濃い蒼が空にたち込めている。
灰色の雲がその上に圧し掛かり増して空からの圧力を感じた。
秋も終わりだ。
階段を降りきった先の銀杏並木は黄色い絨毯を敷き詰めている。
踏み出せばかさり、と靴底と落ち葉の擦れる音がした。
黄色い落ち葉が舞う中をただ黙々と歩き続けた。
それが蝶のようだと気付いたのは、並木道を通り抜け掛けた時だ。
春、優々と空を彩る黄色い蝶。
家の周りに咲いたタンポポの蜜をよく吸いに来ていた。
それが今、無残にも、散っている。
これは蝶ではない。ただの落ち葉。
振り向けば並木道は、その蝶の残骸で敷き詰められていた。
それは馬鹿げた空想であったが、確かな妄想だった。
足元には自身の足に踏み潰された蝶が。
生き物の生き死にを自由にしたいとは思わない。
生き物は死ぬ時がくれば自然の摂理に逆らわずに死んで逝くのが道である。結構。
そんな答え無き問いに惑わされ、私の瞳には今蝶の死骸が映っている。
自嘲もいいところだ。
そして私は足の下にある黄色い蝶の死骸を
靴底で踏み躙った
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05.12.05