ペシミスト・ラブ






『好きだとか嫌いだとか、そんなものはいらないんだ』








「先生…?何をしているのですか」
「…」


情事の後、二人してダブルベッドに横になった。
冬場の寂れたホテルは隙間風が少し冷たいが、今はそれが丁度良い。
埃を被ったヒーターをつけて、来る前に買ったぬるいビールを鞄から取り出した。
カーテン越しに赤い光が見え、煩いサイレンが追いかけていった。
振り向けばサイドランプに照らされた彼の肢体は深々とシーツの波に沈んでいる。
その姿は宛ら妖艶で、思わず見とれてしまうほどだ。
ただ―――、右腕を上げ天井に向かって手を伸ばしている。


「分からない…、ただ――」
「ただ?」
「きっと何かを求めているんだ」
「…」
「そうじゃなきゃ無意識にでもこんなこと、しないだろう」


差し出したビールを手に取り苦笑しながらぬるいなと愚痴る。
そんな彼の人間味のある仕草が好きだ。
何時も肩書きと噂だけで決められる彼の存在意義。
哀しいかな、昨今の人間というものは実に愚かしい。
彼も気が付いてはいないのだろうが、自分らしさを保とうとしているのにも拘らず、
その「らしさ」が世間一般の目の型に填められつつある。
人前では冷血な天才外科医を演じようとしているではないか。
知らずのうちだかなんだか知らないが、それは事実だ。
人権・人権と独りだと煩いくせに、集団になると相手の事なんか考えず言いたい放題な人間。
彼は病まされているのだろう。
その中で彼が求めるものは、ありふれたものなのだろうけど
安っぽいけど。
安っぽいものなのだけれど。


「どうした、キリコ」
「いえ、貴方は一体何を求めているのだろうか、と」
「フン…本人に分からないのにお前が分かるのか?」
「例えば、愛とか?」
「好きだとか嫌いだとか、そんなものはいらないんだ」


そんなの嘘だ。
じゃあ私達のこの関係は一体何なのだと聞きたくなる。
だが何度も繰り返した問いだ。今更答えなんて求めない。
何なのだろうね、それで終わる話だ。
互いに深追いしない、口を開かない。
一定の距離を保ったまま。
一方的な恋心。
いくらそれを崩そうとしても、彼は揺るがない。


「…では、私達の関係とは何なのでしょうか」
「…何なんだろうね…」
「…」
「今日はやけにしおらしいな」
「…ハハ、らしくないですね」


どっちが。
その言葉は飲み込んでおく。
紅い瞳に浮かんでいる、その不安気な色は何?
私がビールを取りに行こうとふと立ち上がった時、絡めていた手を微かに握ったのは何?
病んでいるな。
空になった缶を灰皿代わりにしようとする彼を止め、軽く口付ける。
少し湿った煙草と空き缶がベッド脇に転がった。
ねえ、愛が存在しないというのならば
君に触れるだけで上がるこの体温は何だろう。
君の瞳を見つめる度、胸が苦しくなるのは何故だろう。
ねえ出来れば―――、私は君と愛し合いたい。
だって、手を伸ばした君は何かを求めているようには。


「先生…、ブラック・ジャック先生…」
「キ、リコ…っ」


吐息交じりに互いを呼び合う声が、この薄ら寒い空間に熱を帯びさせた。
ダブルベッドで男が二人、獣じみた口付けを続けている。
啄ばむような口付けは必然的に深くなり、唾液を絡めてお互いの口内を貪り合う。
舌同士を触れ合わせる不思議な感覚を彼は求めた。
何時もはそんな積極的じゃないのに。
何時もはそんな事気の迷いかな、で済ませるのに。


「ン…っぅあ…ハァ…!」
「キモチイイですか…?」
「ッき…、もち、イィ……」
「…、ッハハ!やけに素直ですねっ」
「ねえ…っ、な…で、お前は……、ァア!!」


粘着質な水音が肉と肉が擦れあう度、厭らしく耳元に響く。
彼の膝裏に手を差し込み出来るだけ深く、奥まで犯した。
いや、私は愛したのだ。
底なしの闇の底まで。未知なる部分まで、誰も知らないところまで。
突き上げるリズムと一緒に揺れる彼の身体は温かくて、良い匂いがする。
行為をそのままに私は彼に深く口付けた。
苦しい筈なのに懸命に受け止めてくれる彼が愛おしい。
唾液を引いて口を放した後、半開きの彼の唇を舐めた。
頬を紅潮させて私の下で達する彼は、本当に。
愛おしくて、愛おしくて、哀しい。


「先刻の…、言葉の続きをどうぞ?」
「何で…お前は、私を、抱くんだ…」
「何度も言っているでしょう…、愛しているからですよ」
「信じない…!愛とか…っ…、そんなもの…」
「先生」



「、泣かないでください」



そっと彼を抱きしめる。
彼は自分が泣いている事に気が付かなかったのか、一瞬きょとんとした表情をした。
そして気が付くと止まらなくなったのか、声を押し殺して涙を流した。
なんて哀しくて、美しい人。
その涙に触れてもいいかと聞きたいくらい。
ごしごしと目元を擦る彼の両手を握り、頬を伝う生暖かい液体を舌で拭う。
震える睫毛の下から濡れた紅い瞳が見えた。


「ねえ、貴方は先刻手を伸ばしていた時、それを何かを求めている行動だと言っていたけれど」
「…っ」
「私には何かに縋っているようにしか、見えなかった」
「そんな事…!」
「愛に縋っているようにしか見えなかった!」




ねえ、愛って何処にでもありふれてて安っぽいものだけれど
縋るには丁度いい温かさじゃないか




「…今日の貴方は、酷く弱っているようだ」
「っ…そんな…こ、と…」
「今日くらい、私の愛に縋って眠りにつきなさい」
「……キリコ…?」
「貴方が愛を求めるのならば、私は何時でも与えましょう」
「…っ!」
「利用されても構わない…、私は貴方を愛しているから―――」










この恋は馬鹿げていますか

この関係は愚かなのでしょうか?

でも、私は何時までも待ち続けるのでしょう

私は貴方を手放せないのです

あの揺らぐことがなかった貴方との距離が、少しずつだが確実に

近づき始めているから




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06.11.11