A Solitary Vampire








「Happy Birthday」
「帰れ」
「嫌だなぁ、冗談も程々にしてくださいよ」


一本のワインを掲げて彼は家の中にずかずかと入り込んできた。
私より頭一つ分くらい背が高くて、おまけにハーフで格好良い。
全ての形が整っている彼を見ていると苛々してくる。
くだらない嫉妬だ。
いい加減個人的な付き合いはやめたいのだが口下手な私は何時も彼の話術によって言い包められてしまう。
誕生日なんて祝って貰っても嬉しくないし別に祝って貰いたくも無い。
肉親以外の誰が本当に私の事を思って祝うだろうか。
全てを知りもしない癖に断片だけを摘み取って、全てを知ったような口を利く。
ああ 苛々する。


「…不機嫌ですねぇ」
「ああ不機嫌だ」
「ヴィンテージものですがお気に召しませんでしたか?」
「ワインの事を言っているんじゃない」


どさりと椅子に腰を掛け、足を組む。
頬杖をつきながら机の上に散らかっているカルテを弄んだ。
暗くなりかけた空に浮かぶ夕日。
紅い斜光を差し入れながら少しずつ、だが確かに、沈んでいく。
机に置かれたグラスに並々とワインが注がれていく様を、私はただ見つめていた。
グラスに注がれた紅ワインは斜光を吸い込み、怪しげに光輝いていて、
水面がゆらゆらと揺れ動き、飲めよと私に誘い掛ける。
しかしそのワイングラスに何処からか手が伸ばされた。
何時の間にか私の背後に彼がいて、すらりとした腕が視界の端を横切り、
手はグラスに導かれ、指が持ち手に絡み付いた
計算して作られたのではないかというくらい完璧な手。
そこから生える5本の指は、長く綺麗で、そして美しい。
均等に揃えられた爪は少し長くて尖っていた。


何でこんなに美しいのだろう。
何でこんなに美しいと思うのだろう。
分からない、けれど。


「綺麗な紅だ」
「まるで夕日みたいですね」
「いや…まるで血液みたいだ」


持ち手に絡んだ彼の指を解き、グラスを傾け軽く揺らす。
色濃い紅が、私を魅了した。
血、血だ。
血にそっくりだ。
患部を開いた時、メスの後に滲むあの紅だ。
何よりも綺麗で、何よりも美しくて、何よりも確かなもの。
勿論、彼よりも。


ことり、とグラスを机に置き直し、指を解く。
やり場が無い手は机に投げ出された。


「飲まないのですか…?」
「…」
「先生?」
「飲ませてくれよ」


何を口走っているのか。
何故か、胸が痛いのだ。
喉の奥に何かが詰まっているような感覚。
気持ちが悪い。


「グラスから…?それとも口から?どちらがお好みでしたっけ」
「過去に何かあったようなその物言いが気に食わない」
「―――、失礼」
「ああ…もういいよ。自分で飲む」


けれども私がグラスに手を伸ばすよりも先に彼の手が横から伸びた。
彼は、その紅い液体を口に流し込んで、
笑った。
ぐいと顎を上に傾けられて、口付けられる。
生暖かくなった液体が口に流れ込んできて、気持ちが悪かった。
しかし机の上に投げ出された右手も、だらりとぶら下がっている左手も、動かなかった。
全身に甘い痺れが迸る。
ぞくぞくとした快感が背筋を這いあがり、思わず漏れた吐息。
同時に唇は離れ、唾液が行為の余韻を引く。
口の端からはワインが滴り顎へと続く頬を伝い、
彼を見上げると彼もまた、口の端から紅い液体が滴っていた。


「…まるで、吸血鬼だ」
「ヴァンパイア…ですね」
「どっちが」
「貴方も、そして私もですよ」


どちらもその液体を拭おうとはしない。
その方が、今の会話が続きそうだから。
私達は二人共バケモノで、二人共ひたすらに確かなものを求める。
でも、彼は綺麗で、私は醜かった。
いくら似せようとして頑張っても、
彼は彼で私は私なのだ。
その現実は空虚で、けれど緻密に出来あがった過去の蓄積。
結局は事実に過ぎなくて私はそれを受け入れる事しか出来ない。
視線を逸らした先に必ず現れる後悔と、紅と、紅と。
ふいに零れた懺悔は、誰宛てのものだろう。


「ごめん」
「何がですか?」
「ごめん」
「…?」
「…あーぁ…」


完璧だとか、計算だとか、そんな彼が綺麗だとか。
それが苛々して、そうすると気持ちが悪くなって。
きっと私はその衝動が何なのか。
気付いているのに、分かりたくは無い。
だから私は、彼を拒み続けるのだ。


「…帰れ」
「折角のお祝いですよ?一人では―――」
「帰れ。私は、一人になりたい」
「…そうですか」


そして彼も、その私の行動を拒まない。
その意図は不確かだ。
でも、この曖昧な関係を保ち続けるには、こういう方法しかないから。
私は吸血鬼で、彼はヴァンパイア。
同じようで同じじゃない。
似ているようで、似ていない。
異様で醜い私なんかと一緒にいてはいけない存在なのだ。


そのまま彼は何も言わず、口の端を拭って私の家から去って行った。
私は椅子に掛けたまま、振り返りもしない。
注いだ時より重が減ったグラスの中の液体を、その一点だけを、見つめていた。
体の距離はあんなに近かったのに、心の距離はこんなに遠い。
そう仕向けているのは私。
絶対に交わってはいけないから。
嫌いじゃない。好きでもない。
でも、とても焦がれる。
正反対で、地球の表裏のように遠い関係で、紙の表裏のように近い関係。

しかし私達は立場上、常に戦っていなくてはならない。
信念を捻じ曲げずにぶつかり合わなくてはならない。
後が無いから進むしかない。
結局、この基盤の上に全てが成り立っているのだ。

けれど 約束しよう
何時か来る筈のその日まで
嘘でも良いから交われる、その奇跡が起こるまで








ああ





だから約束しよう







これからも私は












君と戦い続けるから









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06.03.19