だからお願い
患者が、待っているから、行ったのに。
最初に見たのは君の顔。
前方から歩いてくる、君の顔。
病院で顔を合わせたら必ずといっていい程、嫌な顔ひとつ見せるのに。
今日は私の顔を見ずに口を一文字に結んで。
横を、通りすぎていく。
そして、私を横切った彼は数歩後。
小走りにその廊下から消えた。
「…?」
どうしたのだろう。
自分の患者が死んだのだろうか。
ならば尚且つ病院にいる私を見たら顔を歪めるだろうに。
302号室の前に立ち、ドアノブに掛けた手を捻った。
すると、何時も病弱そうだった患者の顔は生気を取り戻したように輝き、眠りについていた。
「ように」ではない。
事実、病気が治っている、治されたのだった。
彼か。
壁を拳で殴り付け、扉へ駆け寄り廊下を見渡した。
小走りに走り去ったのは、このためか。
君は酷い。
私は、酷く傷付いた。
ハーレーに跨って、彼の家に行くのはごく当たり前の事だった。
こういう場合に限ってなのだが、酷く苛々する旅路だ。
何故。私に何も言わないのだ。
何故。治せるとはっきり私に言わないのだ。
何故。小走りに走り去ったのだ。
後ろめたかった?私の意に反する事をして?
馬鹿言うな。お前はそんな奴じゃない。
ゴーイング・マイ・ウェイの天才外科医様だろうが。
何が後ろめたいだって?
しっかりと理由を言えば良いだろうに。
それとも何か?他に何かあるのか。
ああ本当に何時も何時も、静かに君は患者を治し、去っていく。
悶々とした思考回路が頭を取り巻く。
予想は只の妄想に過ぎないのにも拘わらず、私の頭はフル回転していた。
しかしどうでもいい事に労力を使っているのではないと思う。
これは僕等の丁度良い隔たりが壊れるかもしれない大変な君の失態だ。
理由を、聞かせてもらおうじゃアないか。
夜中2時?…多分それくらい。
まだ起きていると思ったから遠慮無くノックした。
案の定、窓に掛かったカーテンに部屋からの灯かりの所為で彼の影が映し出された。
扉の向こうに気配がする。
「誰か分かるでしょ」
「……」
「開けてくれないかな…」
扉越しに呟いたが、彼は扉を開かなかった。
何で。
怒って、いないよ。
「…何で開けてくれないの?」
「……、怒ってるだろ」
「怒ってないよ」
「嘘だ」
「嘘じゃないって」
「嘘だ!!」
あーぁ。頑なになっちゃってさぁ。
だったら扉の前になんて来ないでさっさと寝ちゃえば良いのに。
律儀で素直な人だ。
何を言われるか分かっていただろう。
それなのに、自分を崩さまいとして、頑なに。
頑なに。
「そもそも、何で俺に何も言わなかったの」
「……どうでもいいだろ」
「俺さぁ」
「何だよ」
「本当に、怒ってるんじゃなくてさ…」
「……」
『哀しかったんだ』
あ、ヤバ。
なーんか涙出てきた。しかも声出なかったし。
あぁ。もうやめだ、やめ。帰ろう。
「…何でもないわ」
「え…?」
「ごめんね、夜遅くに」
「き、キリコ…!?」
頑なに。
守っていれば良かったのに、その自分を。
酷いや。何でこんな時に、扉を開けてくれるの?
右手で顔を覆って、歯を食いしばった。
涙は、まだ、出ているかい?
そうさただ、哀しかったんだよ。
何も言ってくれなかったじゃないか。
俺は、死神じゃ、無いんだ。
俺は、人間なんだよ。
だから、『哀しい』っていう感情があるんだよ。
「あは、コンバンワ」
まだ、瞳を覆ったまま、口だけで笑ってみせた。
すごい芸当だろう。上っ面の顔なら俺の十八番だ。
だけど、何でかな。
君の前じゃ感情が滲み出ちゃって、溢れて、止まらないんだね。
自分を隠す事が出来ないくらい好きって事、分かる?
「な…で、泣いてるの?」
「………」
「キリコ…?」
「…哀しかったんだよ!馬鹿野郎!!」
「!!」
「何時も何時も何時も何時も!!!一言ぐらい言ってから患者を治せばいいだろ!!何で何も言わない!?そんなに俺が見境なく人を殺しまくる奴だとでも思っているのか!!
俺は!もう死ぬしかない人間を!痛み無く楽に死なせてやりたいだけだ!!だから親父だって安楽死させてやった!!助かる見込みが無いと思ったからな!
だから見込みがあるならお前に賭けるさ!何せ天才外科医様ときたら奇跡のメス捌きとやらで瀕死の患者もころっと治しちまうんだからなぁ!!だからってな!
俺の患者を無断て取っていって良いわけねぇんだよ!俺の立場どうなんだよ!!一言言えよ!!治るんだったら俺だって喜んでてめェにくれてやるよ!!!」
呆気に取られている彼。
肩で呼吸をする自分。
何と愚かなんだ。でも仕様が無かったんだ。
哀しかったんだ。
まるで君が、冷たい瞳で何時も自分を睨んでいるのではないかと思うと。
いたたまれなくなって。
それこそポリシーに反して思いきり残酷に死にたくなる。
それこそ思いきり。
思い、きり、
「…、何とか言えよ…」
「…、…」
「お前は俺を認めてくれねぇのかよ…っ」
「…っ、そんな」
「お前が好きなんだよ…っ、嫌われたくねぇんだって…」
「―――っ」
温かい手が、頬に触れた。
顔を上げると、彼は静かに涙を流していた。
「…私だって、お前に、嫌われたくないから、何時も黙って……っ」
「…」
「逐一怒鳴っていたら、嫌われちゃうから……」
「……っ」
そっと腰に手を回しても、彼は嫌がるどころかぎゅうと抱き付いてきて。
頭に血が巡り巡って、多分顔が赤い。
「……マジで?」
「それが告白後の第一声か!!!」
顔を上げた彼と瞳が合って、彼も顔が赤かった。
あは。ちょっと本当にこれは…。
真面目に嬉しいぜ、神よ。
「あはは…、嬉しいなぁvV」
「ば…っ!ちょ、くっ付き過ぎ!!」
「何、両思いだったの!?俺達!」
「りょ…っ、て!煩い、馬鹿、放せぇ!」
玄関でぎゃあぎゃあ騒いでいても埒があかない。
彼ごとちゃっかり家にお邪魔した。
「おい…?」
「いいじゃんか、気分も良いしっ」
「ふふ…お前は気分屋だなぁ…、先刻まで萎れていたと思ったら…」
「お前もだろう?」
「あ、ホントだ」
「くっはっは…!あんたは天然だな」
「…っるさい!!」
そう。
私は、君が好きなんだ。
天才外科医としてもだけど、その人間らしさが好きなんだ。
温かくて、優しくて、患者に対しても一途に頑張っている君が好きなんだ。
だからなんでも1人で抱え込んでほしくないから、言ったんだ。
「好きなんだ」と言ったんだ。
だからお願い
折角少し近づいたのだから、これ以上離れないで
だからお願い
私の傍にいてくれないか
君が好きだから
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06.05.23