ダキシメテ
前日から彼の家に泊まり込みで抱き合った。
久々に会ったものだから気分も高まるし何時もに増して全てが熱っぽくなる。
荒い呼吸の中で彼は喘ぎ、身を捩り、快感に打ち震え、私をきつく抱き締めた。
心底愛しいと思った。
しっとりと頬に張り付くツートンの髪も、顔や体全体に迸る痛々しい傷跡さえも。
私にとっては醜くも何ともなく、愛しい彼の一部として拒む要素など一つも無かった。
午前0時を過ぎた頃、彼は明日の手術を理由に行為を打ち切った。
まあ夕方からの事だったし、最低でも3回はヤっている筈だったので彼の体の事も考え静かに二人ベッドに横になった。
明日の術式はどんなものかと問いたところ、少し顔を歪めながら答えた。
「患者の家族も患者自身も望んでいる手術なんだが…どうも病院側が私を忌み嫌っているらしい」
「手術をやらしてもらえないのか?」
「…いや、明日は乗り込んで絶対に患者を救ってみせる」
その患者はまだ小学校にも行けない程小さな子で、随分と前から診察を繰り返していたと言う。
産まれ付き心臓の筋肉が弱く、今は人工心肺で生き長らえているようだ。
前の病院では彼の医療行為を咎める者はおらず、むしろ患者を救ってくれるのならばと外科医局長をバックに随分と手助けをしてもらっていたらしい。
しかし、患者の親の仕事の都合で病院を移動しなければならなかった。
手術一週間前の急な出来事だった為、慣れない環境ですぐに手術というわけにも行かず、もう一週間手術日を延ばしてそれが明日だと言うのだ。
だがその病院は彼を徹底的に追い払おうとした。
無免許医に手を借りるなど病院の面汚しだと。
彼は忌み嫌われている事を知っていたが、一年も前から診察をしていて、回診に行く度笑いかけてくれる子供を見捨てる事は出来なかった。
だから明日は反対を押し切って無理にでも手術をする気だと言う。
そして彼は、もう寝る、といってすぐに眠りに落ちた。
あまりに早い寝付きの良さと彼の真っ直ぐ過ぎる信念に微笑みをこぼしながら、私もすぐに眠りに落ちた。
翌朝、私が起きた時にはもう彼は出かけていた。
午前9時の事で、随分と早いものである。
彼は上手くやるだろうか。
枕元にあるであろう煙草を手探りで掴み、ついでにライターも取って火を点ける。
窓から差し込む日の光が目に痛かったが、カーテンを閉めに体を起こすのも面倒なので
吐き出した紫煙をすぅと目を細めながら見つめた。
無免許というリスクを背負って大病院にどこまで喧嘩を売るつもりなのだろう。
明らかに立場が悪いのは自分の方なのに堂々と正面切って
「それは私の患者だ!」
と言えるのは彼くらいのものではないだろうか。
あそこまで頑固で信念に忠実な人間はそうそういないだろうに。
患者に対する…いや命に対する執着心というのが普通の人間より遥かに強い。
それは過去、彼自身が死に直面するような出来事に巻き込まれたからであり、
そしてそこから見事生還したという事実に基づく当たり前の事だろう。
私は気だるい体を起こしながら今ごろ病院で喚き散らしているだろう彼の手術の成功を祈った。
シャワーを浴びた後、リビングで新聞を読んでいた私の耳に聞きなれたエンジン音が聞こえた。
彼の車の音だ。
だがまだ正午前であり、手術をしているのであればまだ帰ってくるような時間では無い筈だった。
椅子から立ちあがり玄関へ向かう。
どうも様子がおかしい。あまりにも帰宅が早過ぎる。
ドアを開けると、酷く俯いた彼が立ち尽くしていた。
肩からはがくりと力が抜け、今にも崩れ落ちそうな程に体は震えていた。
「…ブラック・ジャック、どうした?手術は…」
「殺された」
唐突に彼がそう吐き捨てた。
「私に手術されるのを恐れて!私が無免許医だと親を脅し!勝手にあの子を手術して!殺した…っ!!!」
「…っ」
「親は私が無免許医だって事を知っていてその上で私に手術を頼んだのに!…あいつらは!私の悪い噂に熱を加えて喋って!親を動揺させたんだ…っ!」
語尾が涙声になり、俯いている彼の伏せられた瞳からはぽろぽろと涙が零れ落ちた。
「それで…っ、夜中に手術を、して…あの子は…、…っ!」
「…そうか」
「酷い…酷過ぎる…っ、こんな…」
「…そうだね」
「こんな…ぁ…っ」
抑えが効かなくなった彼の涙は泉のごとく両目から溢れて出てくる。
よほど、あの子を助けたかったのだ。
手術をして無事治ったら小学校に行き、運動する事も夢見た子供を。
泣き出した彼の体をそっと抱き寄せ、大丈夫だ、と耳元に囁く。
すると彼は私の首に腕を回して首元に顔を埋めた。
適当に羽織ったシャツに涙が滲むのが分かる。
彼は親よりも、誰よりも、あの子の回復を願っていたに違いない。
幼い頃、リハビリという重い枷を持っていた彼は運動が出来ないという子供に弱いと思う。
外で元気よく遊んでいる同年代の子を見るほど体の動かない者が惨めになる事はない。
きっと自分と同じ思いをしてほしくないから、何としてでも手術をしたかったのだろう。
今となっては、叶わぬ事となってしまったが。
泣きじゃくる彼は、それこそ子供のようで。
悔しさを胸にただ泣き続けているだけだった。
こういう時は、淋しさを与えてはならないと思う。
もし何も与えなかったら、悔しさがだんだんと焦燥感に変わり、それが淋しさに変わり、それはやがて孤独感へと繋がる。
この悪循環は決して彼に与えてはならない。
私には分かっている。
独りにしてはいけない。
きっと彼は今まで生きてきた時間の中で、独りの時間の方が多いと思うから。
折角出会う事ができ、心を開く相手と認めてくれたのだから私はそれに答えなければならない。
だから私は彼を抱き締める。
独りではないと。
一人で何もかもを抱え込まないでくれと。
この小さな体が一人で全てを背負うのは無理なのだから、
せめて少しでも、君に募る孤独感を私という存在によって消す事が出来るのなら。
ああ
だから私は 君を
抱き締めて
抱き締めて
ダキシメテ
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05.12.20