矛盾・狂気と彼と彼







「ちぃーっス、黒男サンはご在宅ですかあ?」
「―――…、名前で呼ぶな、名前で」


止めど無くノックの嵐を扉に叩き付けると彼は玄関に渋った顔を覗かせた。
私はけらけらと笑いながら開かれた先に足を踏み入れた。
良い、コーヒーの香り。
ブラック…、美味い、あれは最高。
それと共に香る、メンソール。
…これも、美味い、最高。
最高の空間に俺は居て、思わず溜息を吐いた。
後ろ手にリビングの扉を閉め彼が瞳を細めて私を見つめる。


「黒男サーン、俺もコーヒー飲みたーい」
「名前で呼ぶな…」


ソファに腰を下ろして再び、私はけらけらとせせら笑った。
渋った顔にさらに眉間に皺を寄せて、彼はすたすたとキッチンに歩いていった。


「あ――、はっはっは…、…あーぁ」
「…」


ああ、彼がいる。
良かった。
それだけで私はエクスタシー。
視界は黒。
冥暗、お先真っ暗、闇の中。
あああァア。どうしよう。
酷く鬱。ネガティブ。自虐に酔いしれたい。
先生ェ。コレ、何の副作用?
何も飲んでないよ。何もしてないよ。
―――死を見たよ。


「で?」
「何、先生。なんか言いかけてたっけ」
「何しに来た」
「理由が無いと来ちゃ駄目なの?」
「訂正しよう…―――、何があった、ドクター・キリコ」


ナニがあった?


「何も」
「じゃあ帰れ」
「…、…」
「…ハァ」


彼は頭を抑えながら溜息を吐いた。
落胆。
それでもコーヒーはちゃんと注いでくれて、項垂れた私の目の前にカップを差し出した。
ブラック。
揺れる水面、黒い細波。
深く深く深く深く深く深く深く!!!
何処までも、墜ちたい。
何も見たくない、聞きたくない、触れたくない、触れられたい。
矛盾の渦。
仕様が無い。世の中矛盾で成り立っているんだろう。
私の苦悩なんて昨日誰かが何処かで踏み潰した蟻。
春に死ぬ蝶。
千切られた花弁。
まるで玩具の様な。


「キリコ…、何があったんだ」
「ン―――…、…ん?」
「瞳が、濁ってんだよ。安楽死、してきたのか」
「ウン」
「そうか」


彼はそれ以上、何も言わない。
罵声を浴びせるわけでもなく、コーヒーを顔にぶっかけるでもなく。
私の隣に存在していた。
幾人の存在を消してきた私が此処に存在して、幾人の存在をこの世に立たせた彼が此所にいる。
皮肉じゃない、運命でも無い。
必然だった。
そうさ、必然さ。
だから私が今日あの時あの場所であの人間を逝かせてやるのも必然だった。
そして私がこのように自己嫌悪に取り巻かれ彼の家に来てコーヒーとメンソールの香りを嗅ぐのも必然だ。
彼がそれに嫌悪を抱くのは、当然。
何が嫌で人を殺してきた人間とコーヒーをすすらなくてはならないのか、と。
あ、自分で殺しって認めてるよ。やっだねー。
大分ネガディブ!最悪だ!
だから先生、カウンセリングして。
もっと私に色んな事を聞いて。
私のこの喉に詰まった息が出来ない程の蟠りを吐かせる為には先生の言葉が必要なのだから。


「キリコ」
「ん?」
「どうしたんだ」
「…、…」
「思い出したくないのか」
「覚えてるよ」
「話したくないのか」
「話したいよ」
「話せないのか」
「…!話せるよ!!!」


怒声に驚いたのか咄嗟に身を引いた彼の顎を掴み強引に口付けた。
コーヒー・メンソール・彼の匂い・蟻・蝶の死骸・花弁の無い花・死臭・あの子供。
一気に色んなモノが頭の中を駆け巡って吐き気がした。
唇を放し、私は最早湯気のたっていないコーヒーを一気に飲み干す。
生暖かい、内臓の温度みたい。
キモチイイ?
聞くな。
自暴自棄・自虐・血・黒・闇…、一体なんの連想ゲームだ胸糞悪い。
でも止まらない。
吐き出せば、終わり。
楽になりたい。
でも、だって、今日。
私は。


「せんせぇ…聞いて」
「うん」
「私はねェ…、今日、1人安楽死させたのさ」
「うん」
「でね、その子…、ア、子供なんだけどさァ―――…」
「うん」


うん。分かってる。
取り返しがつかなかった病。
病名なんてもう知らねェよ。
子供の名前も知らないよ。
その子の母さんが泣きながら笑って、良かったわねえ、天国逝けるのよって。
おばあちゃんとおじいちゃんにあったらよろしくねって。
逢える保障あんのかよ。
最期までてめぇのガキに嘘吐いてんじゃねぇって。
そう思った。
忘れたいよ。
全部、全て、この醜い世界を忘れたい。
自分を見失いたい。
二度と見つけたくない。
だけどね、黒男。
間 黒男。
あんただけは忘れたくないよ。


「あんたにそっくりなんだ」
「―――…そっくりだった、の間違いだろう?もういない」
「あ〜…痛いトコ突くねェ!さっすが天才外科医★」
「関係あるのか…?」


私は身体を横に倒して、彼の膝の上に頭を乗せた。
びくりと一瞬膝が震えたが彼は拒まなかった。
それどころか先刻言った傷を抉るような言葉とは裏腹に、私の髪を手櫛で、優しく、とぎはじめる。
そして髪にそっと口付けてきた。


「キリコ」
「何?」
「泣くな」


私は確かに泣いていなかった。
けれど、彼には見えていたのだろうか。
私の心が、胸が、張り裂けそうな程の悲鳴をあげていた事に。
あの子供と彼とを必要以上に重ね合わせ、失望していた事に。
そして、『間 黒男』という人間が存在している事を執拗に確かめかった理由を。
始めから、分かっていたのだろうか。
だとしたら彼は酷い。
酷すぎるじゃあないか。
あああ。
貴方ノソノ私ヲ落チ付カセヨウトスル行動サエ酷イ。
自虐!ネガティブ!!悪いか?俺は死神だ。
『神』だ!
勝手に自暴自棄するのの何が。
何が悪い。
ああクロオ。
君は玄関で私を追い返すべきだった!


「黒男ォおおオオオオ!!!!!」
「っ!?」
「アハハ…、ックックックック!!!」


笑いが、止まらない。
私は俺の髪を弄んでいた彼の手を取り手首に噛み付いた。


「イ…っ!アアぁァあああ!!?」


犬歯がぶつりと彼の手首に刺さって、彼が叫んだ。
血がどくどくと溢れてソファに滴った。
彼は私を押し退け、瞳を見開いて、俺を凝視している。


「キリコ!何を…っ、する……!!」
「アア、黒男生きてる!生きてる黒男だ!!」
「何言って…!?」


生きてるって、もっと。
実感したいからもっと。
私は彼の手首から溢れ出る血を舐めた。
拒む彼の左腕を抑えつけ、紅く染まった右手首を見つめる。
綺麗。
流れる血。
黒男、生きてる。


「黒男ぉ…」
「…っら、なまえで、呼ぶなって…」
「好き」
「っ…」
「好き」
「キリコ…、やめろ…、…っ」









『世の中矛盾で成り立っているんだろう』









そう、矛盾














だから私は、君が大好きだけど君を傷付けたい





















デスペレートはまだ  治まりそうにない





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06.07.04