雨と彼と、彼の○○
それは、酷い酷い雨の日だった。
どしゃぶりの雨の中。
時刻はもう、夜中を回っている。
人気の無い街路樹が立ち並ぶ通り道。
傘も差さずに立ち尽くしていたのは貴方。
声を掛けると表情のない顔が振り返った。
「…」
「そんな所にいると風邪をひきますよ」
声を掛けても眉一つ動かさずに、感情の篭っていない瞳でまた暗雲を見上げる
傘を持っていないのだろうか、とも思ったが、
彼の手元を見ればしっかりと傘は握られていた。
何故か隣で傘を差している自分が悪いなと感じたので、
私も傘を閉じ、濡れネズミになる
しとしと、なんてものではない。
小石が体にぶつかるような痛い雨。
その中で何を見据えているのか、
彼の見つめている先は、ただ雲が渦巻くばかり
「親父が死んだんだ」
ふと、彼が口を開いた
「…といいますと?」
「母さんを捨てた最低野郎だ、良い気味だ」
彼は鼻で笑った。
しかし表情はすぐに暗くなり、
今度は俯いて話し始めた。
「でも母さんはアイツに会いたがっていたから遺骨を母さんの隣に埋めてやったんだ」
「そうですか…」
私は彼の言葉を肯定的に受け止める事しか出来なかった。
こんな所で嘘を吐く筈もない。
それにこの手の事はあまり耳にしたことが無かったし、
振れないでいる方が何かと良いだろうと思っていたからだ。
しかし彼はそんな苦い過去を自ら掘り返して
自虐している。
「俺は馬鹿だ。何処で死のうが良かったんだ、あんな奴。なのに、わざわざ香港まで行ってさ…」
「…」
「何処かのマフィアに拉致られるし、撃たれるし、挙句には他人を巻き込んで殺したし」
「…死んだのですか」
「ああ、面倒くさかったから助けなかった」
何時もの彼ではありえない言動だった
差し当たり、これは嘘だろう。
助けられなかった、もしくはその他人が致命傷を負っていた。
後者の確立が勝っていると思う。
まぁ、父の遺骨を取りに行って巻き込む他人と言えば、彼で言う義理の家族だろうか。
なんて皮肉な言い方。
止む気配の無い雨。
電灯の目下を見やれば凄まじさが手に取るように分かる。
じっとりと雨を吸った服が体にへばり付き、体に掛かる重力が増した。
彼が、空を仰いだ。
つられて私も仰ぐ。
視界には暗雲、光への道は途絶えている。
隙間すら無い、黒の密集地帯。
今日は新月だったか、どうでもいい事を考えた。
「なのに母さんの事を思うと何でも出来た。世の中で一番マザコンだよ、俺は…ふふふ……」
話しながら、肩を上下させて小さく笑う彼は、
何とも哀れに見える。
濡れながら、見上げながら、笑う彼。
「ああ、死にたい。…私を殺せキリコ」
「…先生、冗談も程々にしておきなさい」
「全て忘れたい。苦痛の無い世界なんだろう?あんたが用意している世界は。あーあ、死にてェなあ…」
「死にたがり屋、なんですね」
「なんだよ殺し屋」
「そういえば…そうですね、くっくっく、、、」
末期だと、哀れだと、それは彼か。
きっと今、天から私達を見たら私もそう見える事だろう。
それでも良い。
死にたがり屋と殺し屋が一緒にいても、良い。
そこに死は生まれないから。
こんなの、過ぎた冗談だろう?
「じゃ、抱け」
「はい?」
「服上死させろよ」
「いや…、その場合死ぬ役は私の方なのでは―――?」
「あっはっは…!それもそうだ!俺は馬鹿だな、本当に馬鹿だ」
何故なのか。
彼は、声を出して笑っているのに、見ている私は泣きそうになる。
それを悟られないよう、私は一層空を見上げた。
吐息は白い。
黒い空に溶け込んで、消える。
そのまま、彼も溶け込んで、逝ってしまいそうだった、から。
私は、彼を抱き締めたのだ。
それは
それは 酷い酷い雨の日だった。
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06.03.30