愛された水死体








ふと瞳を覚ますともう日が高かった。
行為の後、何時ものように寝室の窓を開ける。
冬が近いため、いくら日が照っていても素肌にタオルケット一枚は流石に寒い。
しかしどうしてもこの嫌な空気を入れ替えたかった。
その行為が合意の上というのは確かである。
だがその行為の間には愛は存在しない。


以前女を抱いた時は、確かに愛が存在した。
それが心まで侵食していたのかは分からないが
言葉で、体で、行為で、女は愛を表現していた。
それは一方的な愛であり
堅苦しい時間が過ぎていくだけだった。
私は別にそいつを愛しているとか特別な感情を持って抱いたのではなく
ただの精力処理というのか、気まぐれというのか
人の温もりが恋しかったのか。
そいつが失神する寸前に薬を飲ませて
記憶を混濁させるのも、もうお手の物だった。


それに比べ彼とのセックスは特に気を遣う事もなく、実に充実した物である。
ベッドに傾れ込み、始めの軽い口付けが合図だ。
それからはもう欲望のままに抱き合うだけで
それはただの性欲処理であり
それはただの気まぐれであった。
別に彼の温もりに焦がれているのではないし
抱かれたいと思う事もない。
大体の確立で向こうが誘ってくるわけで
私はただその気まぐれな誘いに何の感情も持たずに乗るだけだ。


愛の言葉なんていらないのだ。
優しさなんて欠片も無い。
食われて、貪られて
強引な口付けで抗議の言葉を遮られ、
胸に残るのは、焦燥感。





行為が終わった直後に彼は身支度を始めた。
何時もはもっとゆっくりしていくのだが何か用事があるのだろうか
いそいそと服を着てネクタイを締めていた。
ぐったりとした体を起こして煙草に火を点ける。
胸いっぱいにニコチンを吸い込み、紫煙として吐き出す。
妙な開放感と共にくる不快感。
乾いた心を潤したいがために吸う煙草は不味い。
私はまだ長い煙草を灰皿に押し潰し彼に問い掛けた。


「何だ…、もうお帰りか?」
「ああ」
「ふうん」
「寂しいのか?」
「まさか」


私達の間には何も存在しないのに「行為」という状況は存在する。
行為というものが存在するためには、出会いと会話があれば十分であり
他には何もいらない。
何もあってはならないのだ。
この不安定という安定感が維持されるためにはお互いに一歩引いていなくてはならない。
踏み入ってはいけない。
暗黙の了解で私は彼の心の中には入り込まない様にしていた。
次に出会う時は何も知らない振りをする。
それが繰り返されるだけでいいのに。
なのに何であんたはこの完璧なサイクルを壊そうとするのだ。


「なァ…ブラックジャック」


寝室を一歩出た所で彼が背中越しに呟く。


「何?」
「…愛してるよ」
「―――…、ふうん」


そのまま彼は振りかえらずに扉を閉め、別れの意も発さずに
私の家から出ていった。
ごくりと唾を飲み込む。
サイクルを成り立たせていた無感情の歯車が軋んだ。
まさか。そんな事。


「冗談じゃない…」


早朝の朝日が瞳にいたかったので私は布団を頭まで被って
疲労と困惑に満ちた心と体を寝かし付けた。。









そして瞳が覚めた今、窓を開け放っている。
篭っている空気にあの時の彼の言葉が溶け込んでいるような気がして
それが肌に纏わり付いてくるようで我慢が出来なかった。
新鮮な空気を吸い込みながら身震いをする。
体が冷えるといけないので、窓を半開きにして風呂場へ向かう。
タオルケットを脱衣籠に放り投げシャワーを求める。
適度な温度の湯は私の体を滑り落ちていった。
真上からシャワーを浴び、行為の爪跡を洗い流す。
彼の物を適当に掻き出しその間に沸かしておいた湯船に入る。
体の芯から温まるようなその感覚に思わす溜息を吐いた。


忘れよう、あんな言葉。
あんたのその無駄な優しさが怖いんだよ。
もしこれが新しい遊びなのだと言うのなら
どうぞ俺と縁を切ってくれ。
それが違うと言うのなら一体何だというつもりなんだい。


「…ただの気まぐれ、だろ?」


ぼそりと誰かに問い掛ける。
直後に自嘲気味の薄笑い。
馬鹿らしかった。


肩より少し深く湯に浸かり、湯船の淵に頭を乗せる。
逆上せない程度に少し寝ようか。
次に瞳が開く時、あの言葉だけを忘れている事が出来るだろうか。
もし忘れてなかったら次に彼に会う時の表情を考えなくてはならないじゃないか。


私はもう無駄な考えは止そうと軽く頭を横に振る。
自分より一回り大きい浴槽に力無く四肢を投げ出せば
ゆらりと浮かび上がり静止する。
睡魔はすぐそこまで来ていた。
うっすらと意識が遠退き、瞼を閉じようとした時に




ふと、私は


自分自身が水死体のように思えた。





そう考えると意識を底無しの闇に放るのは










至極簡単な事だった。







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05.11.10