あの日から
玄関先でチャイムが聞こえる。
私は殆ど条件反射のように玄関に出た。
「…あ」
「よォ、ブラックジャック」
目の前には蒼い死神。
夏なのにも関わらず深い蒼のコートを
膝までしっぽりと被っていた
「何…用事?」
「ん〜?別に?逢いたかったから来ただけ」
「あ、そ」
「邪魔するぜ」
するりと彼が私の隣を通りすぎていく
まるで自分の家のように
何が何処にあるのかを全て知っているかのように
彼は振り向きもしないでリビングを通り抜け
私の自室へと繋がる廊下をすたすたと歩いていった
私は扉を閉め、彼の後を追った
部屋に入ると彼は私の机の端にそっと腰を掛け
周囲を見渡していた
「…カルテ散乱してんじゃん」
「…」
「…ブラックジャック?」
「あ、あぁ…。片付けようと思っていたんだ…」
そういえば、最近自室で仕事をしていない気がする
仕事から帰ってきても特にカルテを置きに行くだけで
カルテが散らかっているのなんて目に入っていなかった
それから風呂に入ってご飯を食べて
寝室でベッドに沈む
それが普通になっているような気もする
前までは帰ったらすぐにカルテに目を通して
書物で術式を調べて
後の手術に準備を怠らなかったのだが
最近は何故だろうか
何もする気が起きない
「…お前何かおかしいぞ」
「そんな事…」
「そんな事、あるんだろう」
「っ…」
彼が盲点を突いてくる
しかしそれは私にとっても盲点で
自分でも何故自分がこんなやる気が無いのかが分からなかった
自室のドアを閉めようとドアノブに手を掛ければ
ざらりと埃が積もっている感触が
後味悪く手に残る
最近は生きていくための最低限の事しかやっていない
少々自分自身に躊躇いながら私は扉を閉めた
足元に落ちていたカルテがその風圧で
軽く後ろへ遠ざかる
私はドアノブに手を掛けたまま
振り向かなかった
振り向けなかった
何かを思い出しそうだったから
ぎゅっと握り締めたドアノブがかたかたと震える
それが私の手が震えている所為だと
数秒後に気が付いた
「っ…キリコ?」
そのままいるのも不自然なのでもう一度ドアを開け
部屋を出て行こうと思ったら
彼が後ろから私の腰に手をまわした
そしてぐっと後ろに引かれ
私は彼に凭れる状態になって止まった
「どうした、ブラックジャック」
「……」
ドアノブから放れた手を持て余しているのが嫌だったので
私は両手を彼の両手にそっと乗せた
それでも何か違和感があったから
その手を握り締めた
彼の体がぴくりと動いた
普段し慣れない事をするもんじゃ無かった
普段の私は彼を求める、何て事はしない
強情な彼に無駄な差恥心から必死に抵抗して
逃げようとして
結局は捕まって、抱かれて
次の朝には快感の余韻に浸っていて
だから彼は驚いたのだ
でも今は何よりも
温もりが恋しかった
温もりが欲しかったのだ
自分から体を反転させて
彼の体に抱き付く
身長差で必然的に彼の首元に
私の顔は埋まる
その必然が嬉しかった
「…私はこの前人を殺してしまった」
「患者か?」
「いや…」
彼も私の人恋しい気持ちを察してか
腕に力を込める
「昔の…友達さ」
その腕が
最近まではその友達だった
妙な錯覚に嫌気が差す
君を死へ導いたのは私なのに
久しぶりの再開後、命を狙われて
ついかっとなってしまったのか
何故君の指の骨に
自分のサインなどを入れてしまったのか
何故それを警察に申告してしまったのか
もし
もし許されたとしても
たとえばあの日に戻り
許しを請うたところで
今更何が確かになるだろう
たとえば君に懺悔したところで
これからの何になるのだろうか
「…これで何人目だ?」
「何が」
「一人目は母さん、そして患者、友達…」
「…」
「私は医者のくせに…あと何人殺すのだろうね」
患者は腐る程殺してしまった
その時の自己嫌悪は凄まじいものでありながら
私は生への執着が薄れていくのを
確かに感じていた
たまに
微かに私は
死神に憧れる
それはいけない事なのだろうけど
それをいけない事だと決めるのは自分だから
私はそれをいけない事にしなかったのだ
死神に憧れて何が
何がいけない
君に逢いたくて
何がいけない
なあ
「キリコ…」
「…何だ」
「逢いたかったよ、キリコ」
「…調子狂うな、お前がそんなだと」
くっく…と喉を鳴らして彼が笑う
ねえ
何も知らないって幸せだね
ねえ
何も出来ないって不幸せだね
死んでしまった友に
殺してしまった友に
誰よりも優しくしてくれた友に
私は何も出来ない
「先刻まではあんなにそっけなかったのにな…」
「別にそんな事…」
「そんな事?」
「……あるかも、しれないな」
「よく分からんよ、お前は…」
そう言いながら彼は
私の額に口付けを落とした
私は目を細めた
それが嬉かったからでは無い
泣きそうだったからだ
あまりにも優しくて
あまりにも温かくて
それが
それがあの友達みたいで
確かに私が今愛しているのは
彼なのだろうけど
その陰には
必ずと言っていい程
君の残像がちらついた
それは
私が君を殺した
一週間程前からの事
ねえ
でも、気付いていたのでしょう?
再開したあの日から
私達が
こうなる事を
ねえ
間久部
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05.10.29