淫らな***







私は彼の***が大好きだ。
それに気付く度、生唾を飲み込み興奮を煽られる。
動機が早くなり、目が心なしか大きく見開かれる。
何時もより彼が色っぽく見えて、イヤラシイ衝動が喉まで込み上げて、
それを飲み込んで、歯を食いしばり、彼の名を呼ぶ。
触れたくて手を伸ばせば指の間からすり抜けていくそれは。
ああ、淫らに私の感覚を刺激し、血が騒ぐのだ。

やはり夜中の病院付近で私達は出会った。
木々がざわめき、湿気を含んだ風が葉を擦れさせる。
蒸し暑い、夏特有の風は、雨と草と虫の死骸の匂いがした。
それに足される、彼の。


「ブラック・ジャック…」
「…げっ」
「や、ちょっと、その反応酷くありません?」
「普通だ」


ふとしたらそのまま闇に溶け込んでしまいそうな彼。
黒いシルエットが街灯に照らされ、さらに深い黒がタイルに滲んでいる。
夜みたいな男だと、何度も思った事があった。
それに紅い瞳がぱちりと開いていて、此方を見ていればそれだけで私を誘惑させるには十分だった。
ただそれに、ほんの少しのスパイスが加われば、それこそ、もう。
どちらともなく立ち尽していたので、状況的には何の変化も起こっていないのだが、風がそよぐ度、濃くなる。
蝉の煩い声が、聞こえなくなるくらい私の神経は一点に集中した。
適度な距離はまだ埋まらない。
彼はふうと溜息を吐いて、次に顔を歪ませた。
あ、と思う。
痛みを堪えるように瞑られた両目、少しのうめき声。
それだけで、私は彼に近づく事が出来る。


「ブラック・ジャック」
「何?」
「…ブラック・ジャック」
「…だから何?」


脇腹を抑え前屈みになっている彼に歩み寄り、そっと手を差し伸べた。
途端、また甘美な誘惑の波が私に押し寄せる。
近づく度に、また。
酔いしれそうなくらい、翻弄されてしまう。
思わず立ちくらみがしたが、彼を手助けしようとしている私がこれでは笑い話だ。
足に力を入れ、ぐっとその場に踏み留まった。
何時までも私の手に掴まらない彼だったが、もう一声うめき、私の手を通り越して胸に倒れ込んできた。
苦しそうな息遣いが、胸板を伝い直接心臓に響く。
彼の右手は脇腹を抑え、左手は私の服にしがみ付いていた。
鼓動が、早い。


「悪い、な…」
「…いえ…別に構いませんが…」
「……ッ、痛…」
「先生…」


目尻に涙を浮かばせて、彼は私の服をぎゅっと握り締めた。
その手は力み過ぎて震えている。
こんなにも近い。
増して濃くなる。
翻弄される、酔いしれる、イヤラシイ。
凪いだ風が小さな旋風を作って、私達の髪を掻き乱した。
私は彼を抱き締めて、耳元に囁いた。


「先生」
「……」
「血の、匂いがします」
「っ!!」


彼は私から飛びのいたが、それでバランスを崩し後ろへのけぞった。
私は倒れて行く彼の腕を力強く掴み引き戻して、再び彼を腕の中へ収める。


「いっぱい血が出る手術しました…?いや…」
「さ、わるなよ…」
「これは、貴方の血の匂いだ」
「…、…」


私は左の脇腹にそえられている彼の右手に触れた。
びくりと彼の肩が震え、その瞳は不安そうに私を見上げてくる。
そっと彼の右手をどかし、彼のリボンタイを解いた。
コートとジャケットを近くのベンチに乗せ、シャツのボタンに手を掛ける。
彼は、何も言わず俯いた。
ボタンを外し終わりシャツを肩から下ろすと、真っ白な包帯が腹に巻かれていた。
一層、嗅覚に神経が集まる。
私は彼に気付かれない様に静かに舌なめずりをした。


「どうしたのですか」
「…手術、終わって…、自殺未遂の奴で…」
「…」
「何で生かした…って、メスでこう…」


彼は自分の左脇腹に人差し指を当て、すっと斜めに空を切った。
少し血が滲んだ包帯は紅黒かったが、美しかった。
私は耐えられなくなり、包帯に手を進める。


「や…っ、何すんだよ」
「消毒してあげようかと思いまして」
「もう、してきた」
「いいじゃないですか、何回やっても」
「…やだ…」


彼は包帯を解こうとする私の右手を止めた。
それでも私は、手を進めようとする。
これだけオアズケを食らっていたのに、このまま我慢なんて無理。
もう、目の前に、獲物はある。
私は彼をベンチに座らせ、コートを肩から掛けてやった。
そして包帯に手を伸ばすがまたもや止められた。


「誤魔化されないぞ…」
「あ・やっぱ分かります?」
「……、…傷って醜いから、嫌」
「私は好きですよ。傷は美しいからね」
「…反対の事言うなよ」
「でも好きなものは好きです…だから…ね?」


するする包帯を解いていく私を、彼は恨みがましそうな瞳で見ていた。
現れたのは、10cm弱の深めの傷。
まだうっすらと血が滲んでいて、多分消毒してきたなんて嘘だ。
どうせ切り付けられた後、患者は他の医者に取り押さえられたのだろうが、あまりに大きな出来事になったのか、
これ以上巻き込まれたくないと飛び出して来たのだろう。
幾分か包帯の巻き方も乱雑だった。
血が擦れた後が身体の所々に付着していて、しっかりとした手当が出来ていない事を物語る。
私は彼の生々しい傷跡に舌を這わせた。


「ぅあ…っ、やだってば!」
「いいの」
「何で…」
「私はね、貴方の傷も好きだし、貴方の血も…、大好きだ」
「吸血鬼みたいな事言うのな」
「ん〜、前世はそうだったかもしれませんね」


彼はくすくすと笑ったが、傷が痛むのかすぐに笑い止んだ。
彼の傷は少し苦くて、でも血の味がして、補修を始めた組織の盛りあがりを舌先で感じた。
いい加減、本当にしっかりとした消毒をしないと菌が入るかもしれないと彼が静止を求めたので、
私は渋々口を離した。
それからシャツを着せて、リボンタイを結んでやった。
彼はジャケットを腕に掛けて私を見た。


「途中やりなんて言わないでくれよ」
「…」
「来い。今日は泊まりで、お前は俺の傷の消毒だ」
「それはそれは…、光栄です」


くるりと私に背を向けて彼は歩き出した。
私は少しだけ駆けて、彼の隣に位置する。
彼の腕からジャケットを受け取り、手を差し伸べた。
恥ずかしそうな瞳で睨む彼が愛おしい。
しかし、今度は素直にその手に掴まって彼は足を進めた。

私は舌を口の中で転がした。
彼の味が、彼の血の匂いが呼吸をする度、鼻を掠める。
濃厚な血の味が舌に染み込み、顔から笑みが零れた。
それを見て彼は、不思議そうに小首を傾げ「変な奴」と呟いた。
血だ。
血の匂いだ。
彼を一層惹きたてる最高の、フレグランス。








私は彼の***が大好きだ。
私は彼の血の匂いが大好きだ。


















ああ、淫らに私の感覚を刺激し、血が騒ぐのだ。
ああ、見事に私の感覚を刺激し、血が騒ぐのだ。



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06.08.10