大人の魅力を演技しろ






寝起きは何時も低血圧気味なものだから一杯の水をグラスに注ぐ。
それを飲み干すと洗面台へ向かい、覚醒しきれていない顔を冷水に浸した。
寝起きで感想していた肌に水が染み込んでいく。
前髪が少々濡れたがあまり気にしない。
顎へ伝った水が床へ落ちる前にタオルを顔面へ押し当てた。
キッチンへ向かうと何時もの様に調味料を入れる棚の隣にあるコーヒー豆の缶を手に取る。
ミルで挽いたコーヒーを淹れてゆっくりとソファに座った。
朝日がカーテンの隙間からフローリングを照らす。
視界を横切る斜光は無造作このリビングへ差し込んでいた。
それは机の上に置かれたマグカップへまで及び、反射した光が瞳に痛く、すっと細めた。
テレビをつけると別段おもしろくもないニュースが意味をなさない映像として瞳に映る。
キャスターが話題の野菜を紹介したり、近日にオープンを控えた大型デパートの特集がやっていた。
チャンネルを一通り回し終え、電源を切る寸前、最後に映っていた番組のアナウンサーの後ろに見慣れぬものを見た。
それは見間違えでなければカボチャであろう形・色を成していた。
無意識にテレビの左上に表示されている日付を見る。


10.31(Tue)


ああ。
頭の中の電球に明かりが灯った気がした。
そういえば先刻紹介されていた野菜もそれだったと思う。
口の端が吊り上るのが自分でも分かった。
別に、そんなに酷な事をやってやろうなんて毛頭考えちゃいないけど。
公的にイタズラが許されるのであれば、思う存分楽しむ価値があると思う。
弧を描いた唇から引きつった笑いが零れ落ちた。

好きな子程虐めたくなるというのは本当だ(それはサドっ気があるからなのだろうか)
相手の弱みを見つけてその傷を抉って毒を塗りこんでやる。
断末魔のような心の叫びを耐え凌ごうとする時の唇を噛む姿。
伏せる瞳の目尻に溜まる涙を舌で拭ってやりたい。
全くどうかしている、というのは自覚があるからまあ良しとする。
少し温くなった焦げ茶色の液体が喉を通過した。
ゆっくりと腰を上げ、寝巻きにしていたバスローブを放る。
寝室に戻りクローゼットを開けると、少々橙をおびたシャツが瞳に入った。
柄に合わないな、そう思いながらもそのシャツに袖を通す。
黒のパンツに革のベルトを締め、さらに黒いスカーフを首へ巻く。
寝起きで癖のある髪を丁寧に梳かし、ふと鏡を見ているとあるものを無くしていた事に気付いた。
仕様が無いので行きがけに買って行く事にする。
そして普段はそうも被らない、ふわりとした白いファーを被った。
キャスケットよりは断然似合っていると思う。
まあ普段見慣れない姿だからハロウィンの余興ぐらいにはなるだろう。
…ファーと言っておきながら勿論純毛ではない、が、結構な値が張ったので、
知らずのうちに丁寧に扱っている自分を笑った。
一目見て気に入ったものには惜しみなく金を使ってしまう。
別に物として見ているわけではないが彼もその内の一つであろう。
鏡をみてバランスを整えると寝室を出た。


何時もより少し賑やかな町並みを歩く。
やはり今日がハロウィンなのだと、否が応にも思い知らされた。
店頭に掲げるオレンジの幕には『Happy Halloween』と赤色の文字で書かれている。
顔にペイントを施した男がトランプマークを付けた服を着て、子供たちに風船を配っていた。
一体上からどんな指令を受けてあのような格好をしているのだろうか。
しかしながら『ハローウィーン』がなんの為の行事なのか、真の意を知る者はこの界隈に多くは無い筈だ。
いや、むしろ無に等しいと言ったほうが適切だろうか。
「今日は万聖節の前夜祭だな」と言った所で、どれだけの人間が肯定を返すだろう。
まして外国から輸入されたような内容も分からない、形だけの儀式にどうしてそこまで盛り上がれるのか。
…なんて今現在その馬鹿げた儀式に付き物の『Trick』を『余興』と題して実行しに行くのは紛れも無い自分自身だ。
その第一目的を終えたら軽く一杯付き合ってもらおうと、少し質の良いワイン・ビネガーを手に取る。
ついでに無くしていたものも前と同じく黒の皮製の物を買い、さっそく装着した。
他にも適当に必要なものを篭へ放り込み買い物を終えると、路地に止めておいた愛車へと向かう。
日は天頂よりやや傾いた位置に煌煌と照り輝いてはいるが、晩秋を迎え始めるからか、その光は夏より弱々しかった。
ぐっとアクセルを踏み込み、路地を抜け、海に臨む彼の家へと走らせた。
雨上がりの為か、草木には露が滴っている。
色付き始めた山の木々は風に揺られ、さわさわと葉を擦れ合わせていた。
けもの道の振動にややずれたヘルメットを素早く片手で締め直し、
血の滴りそうな夕日が岩壁の下へ飲み込まれていくのを横目で盗み見た。
まさに『ハローウィーン』とでも言おうか、自然界の演出も悪くは無い。


彼の家が見えてきた時、がくりと項垂れた。
先客の愛車であろう車が、彼の車の隣に並んでいた。
またアイツが来ているのか。
チッ、と舌打ちし、心の中で奴を呪った。
毎回毎回彼の仕事先で会った事があるからと何かと理由をつけて彼の家へ上がりこんでいる。
それは此方も同じだと言っても奴のスキンシップは止まる事はない。
彼もそんなまんざらでもなさそうな顔をするので何時も途方に暮れて終わる言い争い。
仕様が無いので彼の家から少し離れた所でエンジンを止め、歩いて彼の家へ向かう事にした。
堂々と向かったらきっと、玄関の扉を開くのは奴だろう。
前に奴はエンジンの音で誰が来たのか分かると言っていた。
二人きりの時間を邪魔しに来たのだから自分は容赦なく追い払われるはずだ。
それはなんとしても避けたい為、あと少しの丘を静かに登った。

*

もう4時にもなろうかという時、玄関をノックする音が聞こえた。
コーヒーを啜った私の隣で彼がその音に談笑を切り、玄関へ顔を向ける。
一体誰であろうかと腰を上げる私に静止を促して、彼は立ち上がろうとした。
しかし私はその彼を押し留め、玄関へ向かった。
もうすぐ黄昏時を迎える頃だろうか、立ち上がりかけた彼の顔が一瞬、窓から差し込む夕日に照らされた。
相変わらずな顔立ちだなあと感心する。
玄関へ続く廊下を歩いていると彼の気配が付いてきた。
何か気になるのだろうか、私の数歩後を彼の足音が追いかけてくる。
二度目のノックが聞こえると同時に私は扉を開いた。
そしてそこに立ち尽くす奴に深々と溜息を吐いた。


「同じ顔…?」


彼が瞳を見開いた。
こらこら、逢った事があるだろう。
確かに多少風貌は違うが何をそこまで驚愕するんだ、と思う。
肩までの白髪に左目を覆う眼帯。黒いスカーフに背広の下から覗くオレンジのワイシャツ。
片手にワインを持つ様はまあ見様によっては私に見えなくも無いが。
玄関先に立っている奴はにこりと彼に笑いかけてから私を睨んだ。


「あいかーらず先生に付きまとうのな、眼帯殺人オヤジ」
「黙れ。青いなクソガキ。お前は私とあいつの愛の深さを知らんのだ」


そう言いながら私は呆然と立ち尽くしている彼の腰に手を回した。
未だに瞳を見開いて私と奴とを交互に見やる彼が面白くてしかたがない。
くすりと笑うと自分だけが状況を把握していない事に気が付き、増しておろおろし始める。
完全なる混乱状態の中で縋るような瞳で彼は私を見た。
そんな彼が愛おしくてぎゅっと抱きしめると奴から抗議の声が上がる。


「うーわ!変態!!」
「え、ちょっ、待てよ…、キリコ。お前、ユリさん以外に兄弟いたのか?」


突拍子も無い彼の言葉に思わず吹き出してしまった。


「ク…ッハッハッハ!ブラック・ジャック…!気が付かないのか?」
「な…!?何がだよ!」
「クック…、おいアホジョナサン、ヅラと眼帯取りやがれ…ッハハ!!」


ジョナサン、という名前を聞いて彼はぐるりと奴に向き直った。
そこには眼帯を取り去り、長い白髪の鬘を手で弄んでいる黒髪の青年がいじけた顔をして立っていた。
私は堪えきれなくなり彼を腕の中から放し、蹲って笑い続けた。
彼は依然、奴…ジョナサンを見つめて立ち尽くしている。


「え?えェ!?ジョナサンだったのか!!?」
「おお♪良い反応だね先生!出来ればベッドの中でも良い反の…」
「くたばれ小僧。てめェは安楽死じゃなくてもれなく毒殺してやる」


冗談に聞こえない奴の言葉をぴしゃりと遮り、私は再び彼を抱きしめた。
ぐいっと彼を引っ張り部屋へと元来た道を再び戻る。
てめぇ邪魔するんじゃねえ!、と奴は律儀にも靴を揃えて追いかけてきた。
部屋へ着いて混乱が収まってきた彼をソファに座らせると先程と同じように隣へ腰掛けた。


「…で、ジョナサン…?お前何しに来たの?」


私が冷めたコーヒーを口にしていると部屋の入り口で立ち止まっている奴に彼が話し掛けた。
どうやら奴はテーブルの上に並んでいるものを見て立ち止まったようだ。


「いやいや…えーっと。今ちょっと予想外の光景が瞳に映ってるから、待って」


そう言いながら奴は私と彼の向かいのソファに腰を下ろし、ワインを脇に置いてからテーブルの上をマジマジと見つめた。
その瞳に映るのは色とりどりのキャンディ・ドロップにキャラメルリボンの散らばる様。
飴を焦がした色のヌガーにパンプキン・プディングときたものだ。
ちらりと彼を見ると、同じく彼も此方を見ていて瞳が合った。
ぱっと顔を背けた彼の耳は、心なしかほんのりと赤く染まっていた。


「凄いなコレ。もしかして先生が作ったの?」
「え!?いや!その…、……、まあそうだ…」
「何で何で!?すっげぇ!」
「…、ええと…」


彼がきゅっと私のズボンの裾を引っ張った。
助け舟を出せとでも言っているのだろうか。
全く自分で言えば良いのに、何とも可愛い奴である。


「…この前執刀した患者の少女の将来の夢がパティシエだったんだよなぁ?」
「…ああ」
「で、お菓子の本を見せてもらってるうちに作りたくなったんだっけ?」
「…、…ああ」
「オッサンには聞いてねェよ」


憎まれ口を叩きながらも奴は彼を賛美していた。
そんな誉め言葉に気を良くしたのか、彼は照れ笑いをしながら奴に食べるように勧めていた。
私も食べかけだったヌガーを口に運んだ。
焦げた飴のほろ苦さ・甘さとナッツが絶妙で何ともコーヒーと合う。
だから、と勝手に自分の中で理由をつけて今しがたコーヒーを飲んだ彼に口付けた。
奴の手前だからか彼は何時も以上に顔を紅潮させて抵抗した。
口を放して横目で奴を見ると呆気に取られた表情で私達を見ていた。


「何…するんだ!」
「何って…中和?」
「は?」


彼の抗議の声は一気に呆れ返った。


「ま、まあとにかく!…ジョナサン、お前わざわざ鬘まで買ったのか?」
「へ…?あ、ああ!いやこれはハンスを追っかけてた時に変装用として買ったもので…」


眼帯も変装の為に持っていたのだが無くなったので新しいのを此処へ来る途中に買ったらしい。
断じてコイツに憧れて買ったわけじゃないからなというような瞳で私をじとりと睨んだ。
…私に扮さない限り彼を脅かす事が出来ないと思ったのは誰だこのやろう。
なのでゆっくりと彼との口付けを堪能したかのように己の唇を舐めるともっと睨まれた。
そして隣の彼にも睨まれた(そして足も踏まれた)


「なんだ?お前、尻追っかけてる奴いるんなら私の恋人に手を出さないでくれ」
「ふざっけんな!!それとこれとは全ッ然話が違ェよ!なあ先生!」
「あ、ああ…まあ…」


…そこは否定しなさい。


「…今日はハロウィンだから先生を驚かそうと思っただけさ…、バレちゃったけど」
「?…ああ本当だ、今日ハロウィンなんだ」
「え?何も知らずにこの…パンプキン・プディングを?」
「いや、最近ニュースでよくかぼちゃ料理が紹介されてるから」


きょとんとした表情で彼は奴に答えた。


「でも、偶然だな。お菓子があるからもう悪戯出来ないだろ?」


そしてにこりと笑って出し抜いてやったぞという瞳で奴を見た。
その言葉を聞いて奴はバツが悪そうに頭をがしがしと掻いた。
コホンと咳払いをしてから彼同様にこりと笑うと彼に切り返した。


「で?先生、何でこの血色の悪すぎるオッサンは此処にいるのかなあ★」
「口の減らないマセガキだな…害虫駆除の為に決まっているだろう」
「害虫?」
「そう」


そう言って私は奴を指差した。


「てンめェーーーッ!!!!!!!」




そのすぐ後、私は彼を抱き上げ外へ駆け出した。
予想通りというか奴は物凄い形相で追いかけてきた。
春を忘れかけた丘の上が少し、賑やかになった。
走る度に落ち葉がぱりぱりと音を立てて舞う。
あと少しで水平線に同化しようとする太陽が、名残惜しそうに頭だけ覗かせていた。
走り回ること数十分。
一方的な鬼ごっこは奴の体力が尽きる事で終了した。


「くっそ。オヤジのくせに…っはあ…!」
「馬鹿野郎、年の差舐めんなよ…まだ現役だ」
「ッ…はぁー…、何のだよ変態野郎…」
「キリコ、これ以上を喋ったら殺す」


草むらの上に大の字に倒れた奴を下敢する。
姫抱きの格好で逃げ回る私に最初は抵抗していた彼が、
今はもう大人しくなっていた(先刻とんでもない事を口走っていたが)


「ジョナサン…」
「先生〜、オジサンがいじめるよ〜…ぐえっ」
「猫撫で声を出すな気色が悪い」


私は軽く奴の腹を踏んだ。
再び怒りが沸点に達したのか、肩で息をしながら奴が立ち上がった。
ただならぬ怒りにすっと一歩引く。
しかし彼が宥めるように声をかけた。


「な、なあ。もうやめよう、ジョナサン…疲れただろ?」
「…先生がそう、言うなら…」
「ところでジョナサン、何故私が(認めたくないが)すこぶる私と似ていた変装をお前と見破れたか分かるか?」
「あ、そういえば……、…何で?」
「…確かに雰囲気は違ったが外見には驚いたな…何故だ?」


彼もその事実を思い出したのか問いかけながら見つめてくる。
全く、下半身にクるっていうのを知っているのかこいつは。
あまりの可愛さに(前屈みになりたかったが無理なので)そのまま力強く彼を抱きしめて、深く、口付けた。


「ッ…!?」


一瞬彼が瞳を見開いたが、私と瞳が合ったのが恥ずかしかったのかすぐに瞑ってしまった。
歯列をなぞった舌が、彼のそれと触れて唇を放した時にはどちらとも息が荒かった。
半開きになっている薄い唇を舐めて、奴に向き直る。


「お前に大人の魅力が微塵も無かったからだ」
「…!!うがぁあああああ!!!!!」


最早人間とは思えないような声を上げて奴との鬼ごっこは再び始まった。
私は走りながらそっと彼に耳打ちする。


「お前なあ…、冗談でも俺とアイツが兄弟なんて言わないでくれよ」
「だ、だって…、似てたし…」
「アレと?」


私はちらりと後ろを振り返り、彼も顔を其方に向けた。
眉間に幾重も皺を重ねた奴が、瞳を光らせて追いかけてきている。


「…すまんキリコ…、やっぱり似てない」
「だろ?…でもさ、雰囲気が違うっていうのは分かったんだろ?やっぱり大人かそうじゃないかって?」


ニヤニヤと笑いながらからかい口調で彼に問い掛けたが、返答は無かった。
その代わり私の首元に巻かれた彼の腕に力が篭る。
続いて掠れて消えてしまいそうな声で「馬鹿」、と呟いたのが聞こえた。
気分上々、久々の脈アリ。
私は疲れも知らず、舞い踊るように逃げ続けた。
そして数十分後、二回目の鬼ごっこはまたもや奴のギブアップで幕を閉じた。



可愛い先生を目指した、が、最後がグダグダに…(TT)

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06.11.06