珍客をベッドルームへ








雪が降った。
それも相当の量である。
車は通行止め、交通整備もままならない。
それに重ねて強風のため飛行機も離陸することが出来ない。

私は深い溜息を吐く。
仕事を終え、早急にこの地を後にするつもりだったがどうもそうはいかないらしい。
ただ一つ不幸中の幸いだったのが、依頼主が取ってくれたホテルが高級ホテルで
何時も私が取るような安っぽいビジネスホテルのようではなく
暖房完備が万全だという事だ。
外にも出れない、勿論国外に飛ぶ事も出来ない。
八方塞がりである。


兎にも角にも体が冷える。
私は部屋に設置されているヒーターのスイッチを入れた。
ホテルの一階に設備されているバーで朝っぱらから酒を呷った。
こうでもしなければこんな極寒の地ではやっていられない。
他の客も同じ考えなのか、早朝のバーにも関わらず客足が絶えなかった。

少し部屋を留守にしただけでこの冷え込みだ。
食事はルームサービスだけにしよう。
そう思いながらベッドに転がる。
脇に置いておいた新聞を手に取り、特に興味も無い外国のニュースに目をやった。
しかし酒の入った体での読書は瞼を重くするばかりで
私は数分も経たないうちに新聞を放って布団に潜り込んだ。







ドアをノックする音で瞳を覚ました。
ルームサービスだろうか。
今は何時ぐらいなのだろう。
太陽が低い半円を描きながら部屋の窓に光を差し入れている。
確かバーから戻ったのが9時頃だったから、3時間は寝たのだろう。
時計を見たら、12時だった。
昼食か…?
寝起きのしゃんとしない顔を数回叩き、私はドアを開いた。

しかし、そこには私の予想を遥かに上回る程驚く人物が立っていた。


「…な、んで?」
「いや、ロビーであんたの噂を聞いたから」
「へぇ」


少し雪を被って白く染まった黒いコート。
それを肩からばっさり羽織っている、ドクター・キリコ。
こんな寒い時ぐらいちゃんと腕を通せばいいのにと思う。
鼻先が少し赤く、歯がかちかちと震えている。
外の温度は相当なものだと伺えた。


「で、金払うのも面倒だし泊めてもらおうかと…」
「…一泊100万だ」
「ひっでぇの」
「嘘だ…入れよ」


かたかたと震えている彼を放り出す事は流石に出来なかった。
体を一歩引いて彼を部屋の中へ通す。
飛行機が離陸出来るようになるまで部屋代を払ってくれるという依頼主との約束だ。
一人増えたところでなんら問題は無いだろう。

雪が付着したコートを風呂場で叩くようにと彼に指示をして
その間にコーヒーを淹れる事にする。
一人で使うには勿体無いくらいの設備が整ったスイートルーム。
患者の心からのお礼だとか、手術料も払った上によくやってくれる。
二つのティーカップにコーヒーを淹れ終わったと同時に
彼が風呂場から出てきた。


「寒い…」
「?…この部屋は随分と温まっているぞ?風邪か?」
「っ…くっしゅ」
「確定だな」


病人にコーヒーなんて飲ませられない。
私は彼と彼の鞄を探して見付けた着替えをベッドに投げ込み、診療鞄の中から抗生物質を取り出した。
私はミネラルウォーターとホットミルクを用意してから再びベッドルームへ戻った。


「おい…、そんな気を使うな…」
「煩い、あんたは俺の患者だぞ。言う事を聞け」


ずいと抗生物質を彼の瞳の前に突きつける。
彼は何かを言いたそうにしていたがごくりと言葉を飲み込んだ様子だった。
抗生物質を水で飲ませて、ホットミルクを手渡す。
後は温かい格好をしてゆっくり寝ることだ。


「私は今日はソファで寝るから、あんたはもう寝ろ。睡眠は多い方が良い…」
「っ…おい、ブラックジャッ…っけほ、げほっ…」
「ほら、言わんこっちゃない」
「ごほっ…」


隣の部屋との境目で立ち止まり元来た道を戻る。
咳が止まらない彼の背中を擦ってやると彼の熱で潤んだ瞳がこちらを向いた。
こんな元・軍医でも風邪は引くものなのだな、と思う。


「仕様が無いな…。よしっ」
「な…んだって?」
「あんたが寝るまで隣にいてやるよ」
「…、…ありがとよ」


何だ。照れているのか。
くるりと顔を向こうに向けぼそりと彼が呟いた。

布団に潜り込んだ彼の頭を撫でる。
額に乗っていた銀髪を横へ掻き分けた。
汗が滲んでいる頬に落ちた髪の毛をもう一度掬い、耳に掛けてやる。
もう薬が効いてきたのか熱を下げるために体から汗が吹き出ていた。
ベッド脇に置いてあるスタンドからタオルを取り、額の汗を拭ってやる。
暫くして彼は荒い呼吸をしながらうとうとと眠りについた。


私はそっと隣の部屋に移動し、ソファに腰掛け、テーブルに足を乗せる。


「珍客…だな」


天井からぶら下がっているシャンデリアを見つめながら呟く。
ふと煙草が吸いたくなったが、彼が寝ているので我慢する事にした。
仕方ないなと思い、肩を落とすとテーブルの上に視線が合った。
コーヒーカップが二つ。

それらは昼時の窓から差し込む日を浴びて、テーブルの上に濃い影を映し出している。
一方をおもむろに手に取り、中身を喉に流し込んだ。
苦味を帯びたそれは先刻までの熱を失っていて飲みやすかった。
流石スイートルームというのか、インスタントコーヒーまで旨い。
妙な所に感心していると部屋がノックされた音が聞こえた。


今度こそルームサービスだろうか。
確信はあった。
けれど私の足はテーブルの上に投げ出されたままで
動こうとはしなかった。





そのノックが鳴り止むまで








私はずっとベッドルームを見つめていた。







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05.11.08