どうか、気が付いて








バレンタインの飾りが施されたショー・ウィンドウを横目で見やる。
何種類ものチョコレートが、金粉やらなんやらを身に纏い人々の目を引き付けていた。
こんな人相の悪い男がチョコ売り場などをうろうろしていたらそれこそ店の人にとっては迷惑なのだが、
私がチョコを買うと知ると性別を気にする事もなくにこやかに応対をする。
大人にあげるチョコレートと言えば、ウイスキー・ボンボンが妥当だろう。
小さな丸い形のチョコレートの中にとろりとしたウイスキークリームが入っていて、
それが紅いリボンに黒い箱でコーティングされていた。

誰にあげるのか…、それは勿論彼であるのだが。
別にチョコレートをあげることが第一目的ではない。
今日こそ、彼に思いを告げようと思う。
初めて逢った時のあの動機は異常だった。
何か美しいものに見惚れているようで。
紅い瞳、ツートンの髪、色違いの皮膚。
パーツを集め損ねたジグソー・パズルのような。
しかしその何処か欠けている彼だからこそ、惹かれたのだと、そう思った。
欠落している、とでも言おうか。
何時も満たされていないその表情。
伏せられた瞼、静かに揺れる瞳。
私に向けられる度、それらは憎悪に包まれて。
痛む心と裏腹に、彼を蝕みたいという衝動。
我慢も限界に近い。


夕暮れ時。
私は彼の家へ出向いた。
対応の仕方。常に彼を見下して見る。
平静を装う口調。
けれど威圧感を含めた物言い。
扉を開いた彼は顔を歪める。


「帰れ」
「折角の客にそれは失礼なのでは?」
「お前を客として迎える芸など…覚えていないな」
「それじゃあ今、覚えればいい」
「…っ」


ポーカーフェイスを顔に貼りつけて、
私は何時まで彼への気持ちを隠し続けるのだろう。
ずいと部屋に足を踏み入れるが、彼は何も言わない。
歯を食いしばって下を向いている。
コートを脱ぎ、その内ポケットからチョコレートの箱を出す。
紅くて、黒い。
彼の化身のような色合い。
何でこんな物を選んでしまったのだろう。
無意識とは恐ろしいものである。
何も言わずにチョコレートを彼に差し出す。
やっぱり、引きつった笑顔を貼り付けたまま。


「バレンタインだから」
「いらない」
「受け取るだけでもいいですよ」
「いらないって言ってるだろ!」


彼の手を取り握らせると、その手を思いきり振り払った。
箱が、床にごとりと落ちる。
リボンの結び目にアクセントで付いていたプラスチック製の宝石もどきが
夕日に照らされて、無駄な光を発していた。
無駄に綺麗だった。
彼ははっとしたのか、でも動けなくて、また瞳を伏せてしまった。

別にそこまで嫌がらなくてもいいと思う。
商売敵として見るのは仕様が無いと思うが、それだけで人間性全体を拒否されるのは
此方としてもイライラとするものだ。
何で そこまで。
何が 何処が嫌なのだ。
ヒトゴロシから貰うプレゼントからは死臭がするとでも?
毒入りチョコレートだとでも?
馬鹿な。そんな姑息な手を。
私が何を職業としているのかを一番知っているのは、君だろう。


私はそっと箱を拾い上げて、包み紙を開いた。
ショー・ウィンドウの中で見本としていて出ていた形と同じ。
丸みを帯びたチョコレート。降りかけられたココアパウダー。
一つ、口に含む。
ある程度口の中で溶かした後、ゆっくり噛み締めると
中から少し刺激の強いウイスキークリームが流れ出てくる。
ココアとミルクチョコとその苦味とが完璧過ぎるくらいしっくりきて、
その完璧さが嫌だった。


「美味しいですよ。食べたらどうですか?」
「嘘だ」
「何で」
「だってあんた、顔を歪めてるじゃないか」


ああ。無駄に私の事を見ているのね。
ほんの少し眉間に皺を寄せただけだろう。
もっと違う所を見てほしい。
気付いてくれないものか。
外見じゃなくて、貼り付けた表情じゃなくて、上辺じゃなくて、
仮面を剥がしたその裏側を。


もう一つ、チョコレートを口に含む。
ぐいと彼の髪を掴んで、引き寄せて、
強引に口付けた。


「ウぐ…っ!」
「…ハ」
「く、そ…!…やめろ…、やめろ!!」
「嫌、ですよ」


逃げようとする彼の手を抑え込んで、壁に押し付ける。
噛み付くようにキスをして、溶け残ったチョコレートを彼の口に移した。
それでもやめない。
止まらない。
飢えた獣のように、彼の唇を貪った。
彼は生理的な涙を流して、差し込まれた私の舌から必死に逃げようとしている。
その度、鼻を掠めるチョコレートの香り。
甘い。
反吐が出るほど甘ったるい。
チョコレートもこの口付けも。
二度と無いチャンス。
二度と無い状況。



二度と無いのに、
でも私は まだ



ガリっ、と音がした。
唇の端から血が顎へ滴る。
丁度良い苦味。
彼が噛んだのか。
強がりを見せておきながらへたりと目の前に座り込んでいる。
瞳は潤んでいて。
ごしごしと腕で口を拭っている。


「あ…あんた何て、大嫌いだ!!」
「…そう」
「男だぞ…っ!?気持ちが悪い…っ」
「…、…っ」


結局。
私は何がしたかったのだ。
彼の罵声を浴びに来たのか。
思いを告げる為に来たのではなかったのか。
何で何時も、こんな事に。


「―――、私は」
「…何だ!!」
「私は…」









「っ…わ、たしは…、……」









ああ、クソ。
逆光って結構役に立たないな。
折角背後の窓から夕日が差し込んでいるというのに、目の前の彼は私の顔を凝視している。
見えてしまったか。
惨めだ。


頬に伝う涙が、リアルに生暖かい。
視界が歪み、足が震える。
やり場のない手を握り締めたら爪が食い込み、血が滲んだ。
彼は困惑した表情で私を見つめている。


気付いてくれないのは分かっている。
口に出さないと分からないのは知っている。
こんなにも貴方に焦がれているのだと。
言えたらどんなに楽なことか。
出来合いの台詞ばかり吐いてきた私は自分の気持ちに気が付いたけれど、
その伝え方を忘れてしまったのだ。

甘ったるいけれど、苦くて、痛くて、
鉄の味が口に広がる。




ごめんね


だって言ってしまったら


全てが壊れてしまうだろう?











何時かで良い


















気が付いてくれれば







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06.02.15