二年のブランク







夜半を回った頃だろうか。
ロスのホテルのロビーで彼に出会った。
まるで変わりの無い真っ黒づくめ。それがまた懐かしい。
偶然…、何てものはこの世に無いから、これは必然的な出来事だろう。
運命なんて馬鹿げたことを言いたくはないが、そうとしか思えない現状が此処に、ある。
煌びやかなシャンデリアとか雰囲気のあるバーなどに興味などなく、
ただ、目の前にいる彼に釘付けになった。
そういえば、随分と長い事逢っていない気がした。
噂は色々な所で聞くものの、本人に直接会う事は運命と言えども極めて稀だった。
最後に顔を合わせたのは丁度二年前くらいだろうか。
霞みかかった記憶をずるずると引き出しながら、私は話題を振ることにした。


「…どうですか、調子は」
「ふん…、見ての通りさ」


そういって彼は何時もの手持ちの診療鞄ではなく、銀色のアタッシュケースを足元にどんと置いた。
なるほど、相当稼いでいるらしい。
さしずめその中はピン札がびっしり詰まっているのだろう。
それはさもゴクロウサマな事であるが、その話題は放っておいた。


「お久しぶりですね」
「ああ、まあな」
「此処のホテルに滞在中ですか?」
「ああ」
「私も今夜、此処のホテルを取っているのですよ」
「…ふーん」


彼は怪訝そうな目付きで私を睨んでから、アタッシュケースを持ち上げロビーのソファに向かって歩き始めた。
お前も来い、とちらりと後ろを振り向くので素直に付いて行く。
ふわふわとした毛皮のソファにどかりと腰を下ろし、彼はふうと溜息を吐くと唐突に発言した。


「元気?」
「え…?…、ええ、まあ」
「そう…、良かった」
「貴方も、お元気そうでなによりですよ」
「嘘だろお前、早く死ねとか思っているくせに」
「いやですね、そんな演技でもない事」


彼なりの、真面目に取ったら大事になりそうな冗談にももう慣れた。
くすりと笑みを零して一層深々とソファに身を埋める彼は、何だか疲れているようだった。
意地っ張りなところは相変わらずだと思う。
だから心配だというのに、その性格はきっと先天性、治る筈が無い。
よく見ると、顔も少しやつれているように見えた。
まあ、あれだけの大金を貰う仕事なのだから、尋常ではない手術だったのだろう。
だったら早く部屋に戻ればいいのに、全く人付き合いが良いのか悪いのか。
それとも、私にだけなのか。


「疲れていますね、貴方」
「断定するな」
「嘘吐かないでくださいよ。折角会えたのに次の日死んでいたらなんか嫌じゃないですか」
「ばぁか、俺はそんなヤワじゃない」
「…困りましたねぇ……」


彼の吐息が、聞く度に疲れを含んでいる様に聞こえる。
ふっと瞳を閉じた彼は、ともすれば寝てしまうのではないかというくらい、規則正しい呼吸をしていた。
全くもって素直でない。
こてり、と私の肩に頭を乗せてくるあたりも素直じゃない。
『甘えたい』と一言言ってくれれば、喜んで肩なり何なり貸してやるというのに。
大体、二年のブランクが寂しくなかったのだろうか。
先刻から何時もの冷めた瞳でいる上、特に再会を喜んでいるわけでもない。
私だけ浮かれているのか?それならばかなりの自意識過剰のクソ野郎だ。
否定はしないが、事実、彼と会えて嬉しい自分がいる。
こればかりは嘘を吐けない。
ただ、表面上に出さないだけ。
向こうがそういう態度で来るなら此方もそうさせていただく。
…それこそが自意識過剰なのかもしれないのだが。


「では、バーにでも行って酔いつぶれましょうか?仕事は終わったのでしょう」
「…、…」
「私もこれから特に予定が無いのでね、お付き合いくらいはさせていただき―――…」


自身のトランクを持ち上げバーに向かおうとすると、腕に掛けていたコートを引っ張られた。
弾みでソファに尻餅をつく羽目になったのだが、彼が、腰にぎゅうと腕を回してきたので。


「…」
「…、…行くな」
「―――何ですって?」
「行くんじゃねぇっつってんだよ」


腰に顔を埋めて、彼がくぐもった声を発した。
何時もと違う言葉使いは、君が私に甘える時。
ああ、何処まで可愛いのだこの人は。
どうしてそんなに、ここまで、私を惹き付けるのだ。

全く。


「…ホント、素直じゃないですねぇ……」
「うるさいよ」
「では、どうしましょうかね。バーはお気に召さないのでしょう?」
「ん…、眠い……」
「だから意地を張るのはやめろと…、本当にもう、」
「何だよ」
「…可愛い人だなぁ」
「…っ!!!」


伏せていた顔をばっと上げて、彼は私を上目使いに睨んだ。
いや、可愛いですから、ソレ。
咳払い一つして、彼はソファに座り直した。


「……、部屋」
「はい?」
「来いよ」
「貴方は私のホテル代を無駄にしろと仰るのですか?」
「そうだ」
「……」
「だ、めか」


横目で見ていた彼が少しだけ、俯いた。
ああ、全く。
そんなの反則だ。
私が、君の、何に弱いか知っているのだろう?
強気な『ブラック・ジャック』の後ろの裏側の色濃い影と、
時折見せる弱い部分。
それが、どれだけ私にダメージを与えるか、君は。
きっと知っているのだろう。


「勿論」
「……っ」
「ご一緒させていただきますよ、何時まででも」
「…、りこ…」
「寂しいなら寂しいと、どうぞ仰って下さい」
「…」
「そうしたら幾等でも貴方の傍にいましょう。刻の許す限り、ね」


我ながらクサイ台詞を吐いたものだ。
今度こそ立ちあがり、エレベーターに向かうと慌てたように彼が小走りに付いてきた。
そして再びコートを引っ張る。


「キリコ」
「何ですか?」
「二年間もだ」
「…」
「……寂しかった」
「ええ…、私もですよ」


唐突なその言葉は、私に嬉しい理解を与えるには十分過ぎるものだった。
そのコートに縋り付いた彼の左手を、右手で取り、私は足を進める。
私の歩幅よりも狭い歩幅で、彼も足を進めた。
そして柵付きの妙にかしこまったエレベーターに乗り込んで、私達はキスをした。
どさりと鞄やトランクを床に落として、無我夢中だった。
ウ、と声を上げて息継ぎをした彼の口に再び噛み付き、舌を絡める。
必至に私にしがみ付いて、足をがくがく震わせている彼は、酷く官能的だった。
ぞくぞくと背中を這い登る快感を、多分二人共が感じているのだろう。
彼の部屋の階は随分と上で、エレベーターが止まった頃には彼はへたり込んでいた。
顔を紅潮させて息を弾ませている彼を抱き上げて、部屋の番号を問うと掠れた声で呟いた。
部屋は暗く、ベッドサイドの小さい電灯がぼんやりと灯っている。
そのまま彼をとさりとベッドに下ろし、私はコートを放った。
乱れた呼吸を整えながら彼が言う。


「…今日くらい、何も、かも、忘れようじゃない、か」
「…」
「幾らでも言ってやるよ、『甘えたい』ってな」
「…誘っているのですか?珍しいですねぇ」
「…甘えたい気分なんだ、それくらい察しろっ」


意地悪く笑みを浮かべたら、ホテル特有の、少し大きめの枕で殴られた。
どちらともなく、毒されている。
柄にもなく甘える彼を、柄にもなく甘やかしたくなる。
まだ少し紅い頬を上下させて、彼は私に手を伸ばした。











そう、一緒にいよう







刻が許すその時まで












そして君に告ぐ

















何時までも 君と共にありたいと







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06.06.02