僕等は死んだ






仕事帰りの彼を家の前で待ち伏せる。
もう駄目だ。殺さなきゃ。
これ以上私の中に踏み込んで来る前に。

限界だ。息苦しいんだ。
君の存在自体が私を苦しめているのだ。


ごめん。だから消えて欲しい。


抵抗する彼の胸倉を掴み上げ岬の端まで連れていく。
崖淵での激しい攻防戦が始まった。

いや、私の一方的な行為と彼の拒否反応だった。
崖から彼を突き落とそうとする私と、必死にそれから逃れようとする彼。
彼の瞳は異様な物を見る目付きだった。
立場を逆転しながら徐々に崖淵との間合いを狭めていく。

命を何よりも大切にしている君が憎い。
私に何も言わずに患者を奪っていく君が憎い。


正反対だからといってなにも全部を否定しなくてもいいじゃないか。
私だって人間だ。
話せば分かるんだ。


だけどもう、遅すぎて。


引き剥がされた右手をもう一度伸ばし彼の胸倉を手前に引く。
そして自身の体を捻り反動をつけて、彼を崖下に放った。
重力に身を任せて彼の体は宙に浮いた。


色を失った彼の瞳が私を映した。
死に直面する時の瞳だ。
その瞳は私を見つめたまま下へ下へ遠ざかっていった。

彼は崖下の岸壁に体をぶつけ、がくりと体を折った。



目下を見下ろせば、何時もと同じ黒いコートを身に纏った君が深い蒼に呑み込まれていくのが見えた。


その綺麗な深い蒼に
じわりじわりと
滲む紅


ああ、願わくば永久に揺らめけと


それは至極繊細で
それは至極鮮やかな


残酷な程キレイな紅がそこで静かに波打っていた




清々した筈なのに
あの忌々しい彼がいなくなったのに
私の右手の震えは止まらなかった

そのうちに体全体ががくがくと震えてきて
ついにはその場にへたり込んでしまった
自分自身の体を抱きしめる
しかし震えは酷くなる一方だった




一筋の涙が頬を伝った




自分の犯した過ちの大きさにようやく気が付いた





これが夢ならばと

かりそめの夢ならばと

ならば明日は、涙は流れないだろうか

全てを忘れる事ができるだろうか




次の日の朝

遠のく思考に揺れていたのは

紅い海に沈んでいく彼だった

私は全てを忘れる為に






自身の腕に毒を打った






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05.10.19