ワタシハヒトゴロシ
リビングのソファに腰を掛けてペンを加えて私は悩んでいた。
殺しのレパートリーの中で最も優雅な死に方、安楽死。
以外にも患者は絶え間無くやってくるのだ。
それこそ彼の様に世界へ飛びまわって求めるものに死を与え続ける。
その仕事を専売特許にしてるようなヘンクツモノは私だけだと思っていたが
その道に少なからずや沿う人間、ライバルというに相応しい男はまさしく彼だった。
一本道を正反対に向かう私達は何時の間にか歪んだ円を描き、出会ってしまった。
どうも皮肉ですね、私達正反対なのに。
そして今も患者のカルテに目を通す。
末期患者の連続、死に相応しい患者ばかりが目の前に連なる。
モノクロ顔写真。淡々とした字面。
出来るだけ安らかに。患者一人一人に合わせて安楽死のさせ方を考えるのはまた大変苦悩する。
バッハ?モーツァルト?いや、彼女にはレクイエムが相応しい…。
逝く瞬間の快楽をどう捉えてもらえるかが私の仕事の醍醐味だ。
答えなどは一度も聞いた事がない。
墓場までその快楽を持っていってもらおう。
病の苦痛なんか比べ物にならないくらい、妙な感覚を朦朧とする思考の中で手にする。
その『妙な感覚』を『快楽』と患者が感じる時、それが安楽死である。
私が与える死は常に優雅で、芸術だ。
安楽死こそ死の美学なのだ。
だからこそ人々は不治の病への無理矢理な手術、見込めない回復に勝る価値感を得るのである。
何枚目かのカルテの端に『requiem』と走り書きをした丁度その時、
玄関でがたりと音がした。
ぴたりと動きを止め耳をすましたが、それ以外は何も聞こえてこない。
特に怪しい仕事は受けてはいない筈だが、もしもの事だ。
私は立ちあがりサイドボードの引出しから愛用の銃を取り出した。
勿論、皮手袋は着用済みである。
まあこんな人里離れた場所では無駄に音が響いて死人が出たことなど分かりはしないが、
これももしもの事があるかもしれない。
例え発砲したとしても硝煙反応が出ている間はその辺をハーレーでぶらぶらしていればいいだけだ
こつり、と足を進め、玄関へ向かう。
緊張などない。
戦争の真っ只中に狩り出されていれば危険度の感覚も麻痺するものだ。
ぎゅっと皮手袋を深くはめドアノブに手を掛ける。
「誰だ」
ノブを回し、ドアを開け放つ。
片足に重心を掛け体を反転させながらドアの目の前に立っているであろう人間の死角を狙える位置にしゃがみ込み
銃を構えた。
構え慣れた拳銃。片手で十分だと思ったが油断大敵、両手で構える。
ところが焦点に合う物体は何も無かった。
その変わりに玄関には血塗れの彼が転がり込んできた。
「お前、は」
「ぃよう、久しぶりだね、死神」
何時もの黒いコートは無く、スーツも着ていなかったため、彼のシャツに血が滲み続けているのが一目で分かった。
全身生傷だらけ。
心臓辺りを抑えている。
打たれたのか。
「何だ、天下のブラック・ジャックも此処でオシマイか?」
皮肉をたっぷり込めて彼に問う。
負けず嫌いな彼は、このようなプライドや自身を削られる言葉に敏感であるのを私は知っていた。
だから今回も同じように皮肉をたっぷり含んだ嫌味を言い返してくるだろうと思った。
まさかこんな
「…、………あァ」
彼らしくない返事がくるとは思っていなかった。
それに対し私は心底驚いたし、それが表情に出たのか、彼は顔を歪めた。
「フフ…、…良かったなぁ死神。やっと邪魔者が消えてくれるぜ…仕事も増えるだろうよ」
「そうだな…」
二人して低く笑った。
自嘲と優越のコントラストが気味悪かった。
暫く私と彼は視線を交え、そしてどちらともなくその線を立ち切った。
行く先を無くした彼のその視線は、ちらりとしゃがみ込んでいるままの私の手元へ移った。
「何…トドメを刺す準備、してて、くれ…たの」
「いやこれは、もしかしたらこっちの方が乗り込んでくるかと思っただけだ」
私は左人差し指で左頬をすっと上から下へ斜めになぞり、マフィアの意を示した。
まさかあんたが乗り込んでくるとは思っていなかったから手持ち無沙汰になってしまったじゃないか。
しっかりと握り締めていた銃を持つ手を緩め片手で弄んだ。
「―――…か?」
「何?」
ぼそりと彼が何か呟いたが聞き取れなかった。
すぐに聞き返したが、やめておけばよかった。
何時もなら適当にあしらうのに、無駄な探求心が彼の命を抉っていたのに
私は気付く事が出来なかった。
「それで、トドメを刺してくれないか」
右手の人差し指で回っていた銃がごとり、と床に落ちた。
「馬鹿、私に殺せというのか?お前を?」
「あァ…大真面目だね」
銃を拾いかけた右手に彼の両手が掛かった。
そのまま私の手に握られた銃は、彼によって彼のコメカミに突きつけられた。
「私は、無駄な殺しはしない。私の専売特許をお前も知っているだろう?大体殺してくれだなんて―――」
「これが私にとっての安楽死だと言ったらどうする?」
「っ…?」
「あんた、私を殺してくれるのだろうだって、お前の専売特許は安楽死だから!!!」
血溜まりの中で彼が叫んだ。
痛々しい。
私の与える死は常に安らぎであるのに。
もし彼に与える死に名をつけるのならば、何と呼べばいいのだろう。
苦痛。
銃殺。
残酷。
待ってくれ、私の与える死は、患者を救うものであるのに。
何か大きなミスをした予感。
水彩画の中に油絵で描いてしまった、自身の本音。
そんな絵、焼いてしまえばイイのに。
手が動かない。
コメカミに銃口。 震える手。
過ちを犯す瞬間、もしやもう犯してしまっているのかも。
「私がお前の最後の患者になれるよう祈っているよ」
「おい…待て」
「…まだ待たせるのか?見殺しにする気か?安楽な死を求めている患者に?」
「待てと言って…」
「何なら道連れにしてやろうか」
銃を持つ手から彼の両手が離れ、私の首元に移った。
いきなりの事にしゃがんでいた私は重心を崩し、床に倒れ、その上に彼が跨った。
彼は全体重を私の首にかけようとした。
しかし、血だらけの手はぬるぬると滑ってなかなか思うように力が込められない。
バクバクと心臓が脈打つ。冷や汗が滲んだ。
彼の瞳は長めの前髪によって見えなかった。
滴る血が私の口元に落ちる。鉄分の味が口の中に広がり吐き気がした。
一層ぎりりと首が絞まった瞬間、久しぶりの危機感が背筋をゾクゾクと這い登った。
パンッ…
右手に握られていた銃を彼の心臓に突きつけ、撃った。
懐かしい、死と隣り合わせる瞬間を垣間見てパニック状態だったのか。
「…ア」
「…、ありがと…、キリコ、せんせ…」
がくりと力の抜けた彼の体は、私の体の上に被さった。
「…おい…?」
安楽死を与えるのが、私なのに。
「ブラック・ジャック…、…」
私は 分かってしまったのか
心の奥の本当の叫びを
次の日私は彼の家へ向かった。
昨日の彼が死んだあの時から、雲っている頭のもやを振り払いたくて、そこに行こうと思った。
冬の早朝の風はまだ冷たくて、肌を刺す様に痛い。
何を考えているのか、あの後私は彼の体内の弾丸を全て除去し、彼の体を清めた。
自分の、少し彼には大きめのシャツとパンツを履かせその遺体は今、
私のハーレーの後部座席に在る。
服をたくし上げ自身と彼の体をロープで縛って服を下ろした。
いくら早朝で人がいないからといっても十分過ぎるくらいに気を遣い、ハーレーをとばした。
家の前に着くと、ロープを外しそっと彼をハーレーの横に横たわらせた。
遺品と一緒に埋めてやろうか。そう思ったのだ。
まだこんな人情があったのかと思わず苦笑した。
どうせ彼は一人暮らしであろうと。
だから、ドアを壊して入っても大丈夫だろうと思ったが
社会のルールというのか常識というのか、私はドアをノックした。
その音は、虚しくドアに響き、それだけだろうと。
ただそれで終わるだろうと。
その軽い考えは、一気に沼へ沈められた。
ドアの向こうから足音がする。
「嘘、だろ…?」
彼は、一人暮らしじゃなかったのか
放心している私を他所にがちゃりとドアが開いた。
「お帰り先生!!―――あれ?あんた、誰よのさ??」
彼は、孤独じゃなかったのか
「おっちゃん誰?…あ!先生!!」
「っ・…かやろ…何で、私の所に来たんだ…、…」
ドアを開けた少女はまだ幼く見えた。
私の容姿を見て少し眉を潜めたが、すぐに私の後方にあるハーレーの傍の彼に気がついたらしい。
彼の、死体だとは気付いていないのか。
嬉しそうな声を上げて私の横を通りすぎていった。
「何で彼女のところに行かなかった!!!」
私は叫んだ。
彼が残していった一つの疑問の答えが知りたくて、ただ叫んだ。
その声はそれこそ、ただ空虚に彼の家の中でこだました。
自分の中で信念が何かと矛盾する。
その矛盾が、私の考える死の美学を簡単にぶち壊した。
「何でだよ…」
お前の一番大切な物は彼女じゃなかったのか。
経緯は知らないが、きっと家族のようなものだろう。
死にかけの自分を彼女に見せたくなかったのか?
それでもお前は大切な物のためなら、その場に行くんじゃないのか。
何故だ。
何故だ。
「どうして!!ブラック・ジャック…っ!!!」
背後で、少女の悲痛な叫びが聞こえた。
彼の死を確認したらしい。
だが私は振り向く気にならなかった。
声をかける気にもならなかった。
どうでもよかった。
涙が溢れてくる。
何故だかは分かっていた。
信念と相反する何かに。
私は 気が付いてしまったのだ。
あの出来そこないのキャンパスに描かれた本音が
ワタシハヒトゴロシナノダトイウコトヲ
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06.01.24