サヨナラ鬼ごっこ
「消えろ、ブラック・ジャック」
私は、その言葉が、
君の口から出るのを待ち続けていたのかもしれない。
何時ものように病院で出会い、何時ものように罵って、
何時ものようにきびすを返していけば良かったのだ。
この手が、腕が例え滅びようとも、一生で救える人の数なんてたかが知れている。
こんな一人の人間が、何処でのたれ死のうとも、世界は何も変わりはしない。
後数十億年の命で回り続けるのだろう。
用の無くなったものというのは、大抵捨てられるか放置されるか。
そして燃え、塵となり腐敗していく。
人も例外では無い。
そして、この私でさえも。今は。
濁った瞳を海に向ける。
まだ春になりきれていない、ひんやりとした風が吹いていた。
水平線まで綺麗に見える晴れ渡った青空には、紅い夕日が溶け出している。
日の入りが見れるかもしれない。
頭の片隅に小さな喜びがあった。
大体のゲームの終焉は、どちらが負けるかで決まる。
それは全身全霊で戦うものだから普通はどちらが勝つか、負けるかなんて分からないけれど、
もう決着はついているんだね。
最後に病院で擦れ違ったあの日から、始まっていたらしい。
君があの言葉を言ったあの日から、始まっていたらしい。
君が鬼、僕は逃げよう。
何処までも、何処までも、何処までも。
決して捕まらない所まで。
哀しくなんてない。まして嬉しいわけもない。
単純に、ただ単調な動作を繰り返す。
逃げる、追いかける、逃げる、また逃げる…、今となっては良い思い出だ。
毎日毎日、怯えて暮らす日々。
あいつは来るだろうか、いや、もう家の中に潜んでいるのかもしれない。
でも、明日がもう来ないと思うとこれ程気楽な事はない。
悪夢はもう覚めかけている。
そして私は飛び立つのだろう。
もう決まっている未来というのは良いものだ。
自分の行動が何処でどう変化しようとも行きつく場所は一緒なのだから。
辛いでしょ、こんな事になってしまって。
君はゲームを終わらせたいのに、私が逃げ続けているから終わらない。
だけど、君に勝ちを譲るつもりはない。
私の 勝ちだ。
立ち上がり、耳を澄まぜば、懐かしいエンジン音。
さあ、さあ来い。
君に敗北を見せてあげるから。
待ちきれない。今にも足が疼き出しそうだ。
なあ、キリコ。
私の家の前で彼はハーレーを止めた。
ヘルメットを座席に置き、ゴーグルを首元に下ろす。
ああ、大嫌いなあんたの大好きな仕草も見納めらしい。
私の胸に優越感が満ち満ちていく。
キリコ、人生の潮時を量り間違えてはいけないよ。
「遅いお着きで…、死神様」
私は歪む顔を押さえながら、その場にひざまづいた。
差し当たり彼との距離は10m前後。悪くない。
「仕事が続いたものでな、なかなか来れなかったよ」
皮肉めいた表情で彼は口を開いた。
その顔が、絶望に歪む様を思い浮かべると、もう笑いが止まらない。
私はひざまづいたまま低く項垂れ喉を振るわせた。
「あはっ…あはは…!っくっくっく…いやぁ…本当に」
「何が可笑しいブラック・ジャック。わざわざ来てやったのに胸糞悪いぜ」
「…『GAMEOVER』だよ、キリコ。あんたの負けだ」
「何だって?」
彼の眉間に皺が寄った。
私は彼に向かって数歩ずつ足を進める。
決して5m以内には入らないように、少しずつ少しずつ、確実に彼との距離を詰めた。
風が過る。
やけに、冷たい風だ。
「…やけに変な手紙を寄越したものだ。『鬼ごっこ』とたった一言だけとはな」
「どういう意味かは分かっているのだろう?もう始まってたんだよ、あの病院で」
「…、…負けた方が専売特許を失うってか?」
「そう!そして鬼はあんたで逃げるのが私だった」
丁度5m、進むのをやめる。
「此処へ来た時点でもう決着はついているだろう?」
「何か?それじゃあお前は勝ちを諦めたって事か。俺の勝ちじゃないか」
「…いや、あんたの負けだよ。でもあんたは仕事を続ける事が出来る」
「どういう事だ」
「今のを聞いて分からないのか?…全く」
「…っ…おい?まさか、」
やっと顔が歪んでくれた。
私はにっこりと微笑み体を反転させて走り出す。
最期に君に勝てて嬉しかった。君を絶望させる事が出来て本当に楽しかった!
「さよならキリコ!私の勝ちだ!!」
「―――っ!ブラック・ジャック!!?」
3m、2m…1………
私は崖っ端を思いきり蹴って、飛んだ。
飛べた。
何て気持ちが良いのだろう。
ああ、キリコ。
君が瞳を見開いている様が手に取るように分かるよ。
敗北を味わえ。
そして 忘れるな。
お前が言ったあの一言が
どれだけ私を傷付けたかという事を
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06.05.06